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仕事について、思うこと
最近気づいたことがある。
「私、仕事めっちゃ好きじゃん」ということだ。
就活が嫌すぎて、進学に進学を重ねて、子どもができて専業主婦になった過去の自分とは大違い。大変革だ。
ちょっと仕事について考えてみたくなったのはなぜかというと…
東北フリーランスのこーすけさんが、働き方についての100人インタビューを行って(私も参加!)そこからの考察をまとめた記事を読んだから。
43000文字もある有料級のnote、このなかからグッときたポイントがある。
仕事をしたいという感情になるためには
仕事も食事と同様に、「多数ある選択肢」の中から、「自分の好きなもの」を選べれば、辛さを感じづらくなります。そして、「仕事をしないといけない」という感情ではなく「仕事をしたい」という感情になるのです。
フリーランスは、仕事を選べる側になるまでが大変かもしれないけど、自分で選べるし、決められる。そこが好き。
「好き」のパワーは、やっぱり偉大だ。
私は「人の役に立たないといけない、でも歴史は何の役に立つんだ?」という問いをずっと抱えていた。
「歴史はビジネスの役に立たない、稼げないのではないか?」と思いつつも、手放したくなくて、答えが出ないまま、なんとかずっと大事に持っていた。
すると、ご縁にご縁が重なって、2024年の5月、ようやく歴史の知識や大学でのスキルが役にたつ仕事と、巡りあえた。
やっぱり楽しいし、楽しいとやる気やアイデアが湧いてくる。「好き」を大事にしてよかった。と思った。
そして、高校のときに、ただ日本史が好きという理由で、大学を決めた自分を褒めてあげたい、と心から思った。
とはいえ、ライター歴はもうすぐ5年になるが、そこまで好きではないジャンルや、文字数が多くて単純に大変な仕事、興味のないジャンル、4000文字100円!の俗に言う地雷案件なども以前はしたことがあり、その時は「辛い…書かなきゃ」と鞭打って書いたことを思い出す。
今年はまた新しいことに挑戦したいので、どうかな…?(楽しみ半分、怖さ半分)
本当に仕事ってご縁だよなぁ。
攻めの姿勢を持ちつつ、その日が来るまで、焦らずに精進することがやっぱり大事なのかなと思う。
仕事って休みたいものなの?
先日ママ友と忘年会をして、感覚の違いに、驚いたことがある。
とある友人は、家族がインフルエンザになったときのことを、こう話していた。
「インフルにかかれば、有給つかえるし、かかるの期待してたんだけどなぁ」と。
うんうん、と相槌をうちながら会話するみんな。
(心の声)
あれ?私なら、絶対体調崩したくないし、逆に子どもの参観が入って、仕事できない日はなんか嫌だけどな・・・?
みんな、仕事を休めたらハッピーなの?
ちょっと待って。(脳みそを180度回転させる。)
あぁ、たしかに学生時代は、インフルだと出席停止だから、その間サボれる、ラッキーとか思ってたなぁ。
なるほど、そういう感覚か。
まぁ、納得したんだけれど「仕事はない方がいいとか、仕事は嫌々やるものだという考え方が多数派なのかな?」と思った出来事だった。
もちろん、友人たちのことは尊敬しているし、働き方は人それぞれだから、特にジャッジはしないんだけどね。
息子も、「学校行きたくないし、風邪ひかないかなぁ〜」とかよく言っているし、そんな感覚なんだなと。
仕事で苦しむ人と楽しむ人の違い
ここで、再び100人インタビューのnoteより引用。
仕事で苦しむ人と楽しむ人のたった1つの違い。それは、仕事で苦しむ人は受動的に仕事をしていて、仕事を楽しむ人は主体的に仕事をしているという違いです。
(中略)
「仕事をやらされている、という受動的思考」か「仕事をしたくてしている、という主体的思考」か、この意識1つで仕事への捉え方は180°全くの逆方向に変わるものです。
まさに、まさに。
思い返せば、私はめちゃくちゃ受動的な人間だった。
それが、変わったのは、
・人生変えたいと本気で思った
・フリーランスになった
という2つの理由からだと思う。
フリーランスってある意味お得だ。
自分で動かないと、1円も稼げないから、必死で営業するし、企画する。
自分のコンテンツを作るとしたらなおさら。
スキル不足やごまかしは伝わる。
情報は意外と回る(らしい…)。
だから、必然的に能動的になるし、人間性を高めよう、スキルアップしようとする。
(時々、疲れることもあるけどね。)
知らず知らずのうちに能動的なマインドセットが普通になっていた。
だから、先日のママ友たちとの会話で、「あれ?」ってなったのか、と。
私が就活から逃げだしたのは、仕事は「やらされるもの」「嫌々、心を引きずっていくもの」「学生よりも”責任”があるから重圧につぶされる」こんな風に思っていたからだなのかも。と今なら思う。
しかし、自分の学生時代を振り返っても、子どもたちの様子を見ていても、
学校ってどうしてこうも「やらされてる感」が強いところなんだろう…と。
子どもたちには、自分から動く楽しさを、もっと見つけてほしいなぁと思う。
忘れたくない「ありがとう」と「当たり前」
最後に、忘れたくない…とおもったのが、以下の言葉。
余談ですが「ありがとう」の対義語をご存知ですか?「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」となり、意味は「有るのが難しい」ということ。これの対義語は「当たり前」です。
「当たり前」って、こう言われると、息苦しい言葉。
”当たり前”に使っていたけれど、使うのやめようかなと思うくらい、嫌な気持ちになった。
やって”当たり前”なら、やらなかったことに目がいく。
相手に”当たり前”を掲げられたら、反論できなくなることがほとんどだ。
子どもだって、食べ物だって、平和だって、あって当たり前なら、感謝もしないし、大切だって気づけない。でも、全て、当たり前じゃない。
それに気づいたら、必然的に「当たり前」はなくなり、「有難い」「ありがとう」となるよね。
…”余談”にしては、重要すぎる余談(笑)。
以上、こーすけさんのインタビューを読んで考えたことでした。
このnoteは、ほんの一部の抜き書きと、私の考えを書き散らしただけなので、ぜひ、100人インタビューの元記事も読んでみてくださいね。
という勝手な紹介でした。