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私は、自分のアンテナを磨く覚悟をした
2025年は、生きるベースを整えたいと思っている。
身の回りや自分自身の身体、メンタルを心地よい状態に保っておきたい。
おぬし、まだおったのか・・!
生きるベースを整える際の
ものさしになるのが自分の「快・不快」。
この尺度にピンときた。
尺度はすっと腑に落ちたし、これだ!と思ったのに、なんだかざらつく。
なぜだろう?と考えてみたら、自分のなかに抵抗勢力を発見した。
「おぬし、まだおったのか・・・」
まだ自分を受け入れていない部分がある。
どこだ?どこだ?
探してみると、あったあった。いたぞいたぞ。
それは、繊細なところ、感受性が強いところ、弱さ
この部分だった。
たしかに、幼い頃から、この自分の弱さが嫌いだったし、恥ずかしいことだと思っていた。
まだその癖が抜けていなかったんだ。
それはつまり「自分の感覚を信じていなかった、認めていなかった」ということ。
そういえば、無意識に隠していたっけ。強いふりをしていたっけ。
まぁ、HSPだよね
先日、HSP診断をした。(セルフチェックだけど)
結果は、まぁ、間違いないよね・・って値。
HSP云々のまえに、普段からの感受性強強、メンタル弱弱エピソードを公開すると…
・子どもの頃、アンビリーバボーや仰天ニュースのテレビを見て、怖くて日常生活に支障をきたす
・子どもの頃、映画ジュラシックパークを見て、夜眠れない&台所から恐竜が出てくると思って台所へ行けない
・大学院でのゼミ旅行で京都府舞鶴市の引き揚げ記念館に行って、メンタルをやられる
・数年前、V.E.フランクルの『夜と霧』を読んで、2週間くらい憂鬱さが抜けない
・つい先日、映画『すずめの戸締り』を家で子どもたちと見て、数日間具合が悪くなる(子どもたちは平気なのよ!)
・毎朝、Xを見る時、トレンドに注意しないと、一日が憂鬱になってしまう
・あれこれ気にしすぎて集中力が低い
笑っちまうくらい。
もう、こうなったら、受け入れるしかないよね。
でもさ、HSPって、弱さじゃなくて強みなんだって、誰かが言っていた。
環境さえ整えれば、そうでない人よりも、高いパフォーマンスを出せるらしい。
おおおおお!
私の最大の弱みだと感じていた部分が、強みに変わった瞬間だった。
しかも、文章を書く仕事って、向いているのでは?と、気づいたのだ。
なぜ自分の弱さが嫌いだったのか?
自己否定の根っこ
そもそもなぜ、自分の弱さが嫌いだったんだろう?と考えてみると、
幼い頃からの蓄積というか、刷り込みや思い込みのせいだろうと思えた。
だいたい、学校とかそういう場では「明るくて、だれとでも仲良くなれて、優しくて、主体的に行動ができて、ハキハキして、給食を美味しそうに残さず食べて、勉強ができて、運動ができて・・・」
そんな人物が求められているような気がしていた。(というか、いまも子どもたちの学校みていると、この求められる人物像は健在で「個性を尊重」が口先だけだよなと思うことがある)
・・・こう書いてみると、「そんな人物、どこにおんねん!」と思う。
クラスメイト全てが、ドラえもんの出来杉くんみたいになっちまうじゃないか、普通に気持ち悪いじゃないか、と思うんだけれど。笑
まぁ、子どもの頃は真剣に悩んでいたわけで。
声が小さくて、内気で、ときどき場面緘黙で、怖がりで、泣き虫で、運動が苦手で、友達作りが苦手で、明るくなくて、給食全部食べられなくて…
キラキラしている(ようにみえた)子が羨ましくてね。
それもあってか、弱さや感受性の強さ、内向的な自分を否定するようになってた。
大学デビューをしてからは、外交的で明るくすることも身につけたし、それはそれでよかったんだけど、感受性の方は大事にしていなかったかも。
(小学生の頃からの日記や詩は書いていたけれど。)
鉄仮面を被ってみた時期
母親になってからは、家の環境が嫌すぎて、そこで嫌な自分になっている自分も嫌すぎて、心を守るために「鉄仮面」をかぶっていた。
自己否定度はMAXだったな。
息子が小1のとき、長男の自己肯定感が低すぎることに気付いたできごとがあった。
これは私にとって大事件で、息子の自己肯定感を上げようとあれこれ調べた。すると、原因は息子ではなく、自分の自己肯定感のせいだと気づいた。
このままでは、息子をはじめ、子どもたちの人生をダメにしてしまう。
真っ白なキャンバスで生まれた子どもたちに、私は墨汁を垂らしている…最低の母親だ、と当時は思った。
それから、自己改革の日々よ。
メンタルの弱さを改善したくて、瞑想やら生活改善やらに取り組んだ。
だけど、どういうわけか、論理的、科学的?そっちに寄りすぎたせいで、感受性が削ぎ落とされて、またもや別種の鉄仮面のようになっていた。
コロナ下に入った頃は、それでよかった。
じゃないと不安がブーストして乗り切れなかった気がする。
ライターになってからの違和感と変化
でもね、ライターをはじめて、人様のために文章を書くようになって、
最初は、言われたことを言われた通りに、属人性を排除して書く、そういう仕事ばかりだったから、真面目にこなす分には合っていた。
鉄仮面を被っていれば、メンタルの過剰な落ち込みもなくなって、生きやすくはなった。
でも、なんだろう。いつからだろう。
昔みたいな詩的な文章が書けなくなっていたし、なにより自分の気持ちが、わからなくなっていた。
もっと、目の前の景色や出来事を味わいたいのに、文章で残したいのに…
出てこない。
クライアントワークの文章は書けるのに、自分の気持ちや感覚は書けない。
それはそれで、苦しいなぁと思ったんだよね。
それから、心の守り方を間違えていたことに気づいた。
発信する勇気発動コミュニティに入って、自分のことを発信し出した。
歴史の発信をしたくて始めたのに、こうして、どんどん膿が出ていってる。
浄化されていってる。ネガティブなものを手放せていっている。
ついにここまできたのね、という感覚。
1年間放置した台所の換気扇の油汚れ…
いや、3年前にオープンして一度もそうじしていない焼き鳥屋の換気扇の汚れよりもしつこい、
自己否定の根っこに触れたような気がしている。
そろそろわたくし、最強になれそうよ。笑
あ、とはいえ、注意点もあって、HSPはメンタルケアやストレスケアがものすんごく大事だとも聞いた。
ここ、おろそかにしがちだから、マストでやっていかないとね。
自分の最大の弱さや嫌いだったところが、唯一無二の強みに変わったとき、人は自分のことが好きになれるのかもしれない。
もうひといきな気がする。
今年は、整えて、整えて、パフォーマンス上げるから、待ってて。(誰が?笑)