人間関係に悩みかけたら自分の「役割」にフォーカスしてみること
今日は一日有給取得して、中耳炎の長男を耳鼻科に連れて行ったり一緒にテレビ見たりと冬休みの一日をゆっくりさせて頂きました。子供のおやつがビエネッタだったり、仕事のお付き合いで買ってきたシュトーレンをちょこちょこつまみ食いしたのがXmasらしかったです。
さて仕事はまだ締まっていませんが、もう今年も終わりですね。今年も公私とも悩み多き一年でした(基本的にそういう性格なのです)が、一番よく考えたことは家庭でも仕事でも自分に求められる「役割の発揮」があってこその「良好な人間関係」なのだからそこの順序を間違えたらだめだなということでした。言い換えると、「自分の役割を果たせていないのに、人間関係をまるで好き嫌いで考えてしまうとドツボにはまりがち」だということです(自分の場合は)。書いてみると当たり前ですが、良好と思っていた人間関係が突然揺らぐように感じる時って結構あって自分はもともとすごく動揺してしまっていました。例えばこんな感じです。
◆仕事ですごく機嫌良く話してくれていたメンバーがある日突然態度を急変させて口を聞いてくれなくなって「何か気に障ることをしてしまったのか」と非常に動揺してしまったケース
◆逆に、相手を「できる人」として尊重しつつ慎重に関係を築いていたメンバーに「ここの目標が足りていないので今一歩取り組みをしっかりして下さい」という改善を求めるFBをした途端に機嫌が悪くなって全然話してくれなくなって仕事のモチベーションも下がってしまったケース
◆家庭で、早帰りをして嫁さんとの会話をたくさんして「良い時間が取れているなぁ」と思っていたら嫁さんからある日突然「最近一人の時間が足りないので子供の寝かしつけができないなら早く帰ってこなくて良いです」、「皿洗い・洗濯などの家事を言わなくてもしてくれないのが不満です、何年家にいるのですか」と言われて自分が感じていた充実感とのギャップの大きさにびっくりしたケース(大変お恥ずかしい話ですが)
上記のように自分が良好と思っていた人間関係が突然揺らぐようなケースでは、自分と相手の「お互いに求めている役割」の認識にギャップが起きていること(特に、良好に見えた人間関係そのものに安心してしまっているケース)が多かったなと思います。1つ目などは不機嫌にされる原因が全然わからず「この超不機嫌な感じはなんなんだろう、自分は話しかけたらだめなのか…」等とくよくよしてしまっていました。今から思えば、思い当たる節がないのであれば自分がうろたえる必要もないのですから淡々と「お互いの役割の通したコミュニケーション」を取るべきですよね。相手の機嫌の悪さにうろたえるのは自分が「好かれることを前提とした」人間関係にどこか依存してしまっているということでしょうし、そこは一線を引いて「仕事として必要なコミュニケーションは取る」という淡々とした姿勢が仕事には必須だなと改めて思ったのでした(今更ですが)。
そして、淡々とした仕事の中でも助けること助けられることは当然出てくるので、そんな時の「ありがとう」といったコミュニケーションを通じて人間関係のストレスは徐々に減っていったのでした。今では人間関係のストレスとコンタクトの頻度はほぼ反比例するというイメージで、オフィシャルな人間関係の中でコミュニケーションを絶やさないことはめちゃくちゃ大事にしています。よって、「業務上避けて通れない関係の中にいる方々に対して、いかにコンタクトを絶やさずにいるか」は自分にとって常に気をつけるテーマとも言えます。特に緊張関係だったりするとしんどくても自分を奮い立たせて声をかけにいく、内線をかけるというようなことが必要ですが、これはあんまり慣れるものではありませんね。敢えて言うならコンタクトの間を空けないことや、ドツボにはまりかけている自分を自覚すること等が大事かなとは思います。
あと、立場が上がるにつれて「権限があるのにメンバーと仲の良い上司」みたいなコンフォートゾーンに自分を置いておきたくなる誘惑って起きるものですが、仕事としての役割と「好かれる自分」の立場が相反することって多々あるので自分の価値を「好き嫌い」の人間関係の中におかないことは大事だなとつくづく思います。(それができないと、結果が全然出せない「ただの好かれたい人」になってしまいますね。)
少し脱線しましたが、当初のテーマに戻ります。自分が求められる側・求める側のどちらでも、あくまで「相手が自分に求めている役割は何か」を確認してギャップを解消しながら付加価値を提供し続けること(=自分の働きと相手の期待をチューニングし続けること)、同時に自分が相手に求めるものを明示し続けること(=上の反対)は、何か目標に向かって一緒に取り組む関係であれば必須なのだなと今は思えるのでした。そして意外と人間関係は「暗黙の了解」で進むので、ここのギャップが広がりがちだなと。(人間関係の心がけは十人十色だと思いますので、あくまで主観的な気づきです。)
「好かれている自分に固執しない」という過去の記事にも書いたことと繋がりますが、今年の一番大きな気づきだったかなと思います。(わかったというよりは今年は強烈に何度も経験できたという感じでした。)
そんなこんなで、家庭で自分の求められている役割を考えた結果、家事力も上がり最近は朝早起きした日は子供達におにき握ったりピザトースト焼いたりするようになり、食後の皿洗いや洗濯干しも週3くらいはやり、土日は隔週くらいで夕飯の鍋くらいは作れるようになりました。子供達も「お父さんのご飯は2番目に好き」とか「お父さんと一緒に寝たい」とか言ってくれるようになって、自分の幸福度は上がっています。新しく自分のキャパが広がることは嬉しいことですね☺️
※書籍紹介
識学シリーズは全て読んでいますし、全体に明快ですごく好きです。評価軸が曖昧で「組織の文脈」重視、かつ「メンバーが良ければ自分は良い」と言った責任の所在が曖昧なマネジメントが多い日本型組織に疑問を持ったことのある人には霧が晴れるような本ではないかなと思います。一方で、組織全体の方向性が誤っている場合には行き過ぎた「全体主義」に陥る可能性もあり、個々の役割としての自分と俯瞰した視点は両方持っておいたほうが良いのだろうとも思いますが。