サイコとグレートマザー
サイコ
出ましたね。やっぱり本作でも。
鳥
鳥のはく製ですが。
ヒッチコックの映画にはマザコン男がよく出てきます。
「北北西に進路を取れ」や「裏窓」はマザコンを乗り越えた主人公の男が真のパートナーを見つけて結ばれる話でした。「北北西に進路を取れ」ではナイフなどの飛来物で人が殺されるのですが、あれは「鳥」の代理物であるとする説があります。
そう、鳥(及びその代理物)って「母なるもの」の象徴らしい。
サイコでは鳥のはく製を集めている男は亡き母の亡霊を追い求めるかのような行動に出ます。亡き母だからはく製なのね。さすがヒッチコック。そういう細部まで徹底してます。
この男は実家の空き室だらけのホテルを受け継いで、ほとんど引きこもり同然に暮らしています。
不登校や引きこもりの子どもは母親との密着が強すぎて自分というものがない状態です。また、母との一体感が強すぎて、自分がどういう大人になりたいのか、という展望やあるいは自立したいという欲求すらない状態です。
でも周囲の子どもは思春期青年期まっしぐらで、自分はこれからどうやって生きていくのか、日々もがいています(スポーツや音楽に打ち込んだり、本や映画や音楽を鑑賞してくよくよ悩んだり泣いたり笑ったりします)。
マザコン男が日々命がけでもがいている若者と親友になれるはずないですよね。恋人になれるはずないですよね。
周囲の若者は命がけの練習試合(思春期の親友が大人になって連絡が途絶えてしまったり、恋人と結婚することがないのは練習試合だからです)をしているのに、本人はまだ母親の庇護のもとにとどまっていたいのですから。
この状態を「グレートマザー」とか「大母」イメージに飲み込まれている状態である、という理論が臨床心理学では1970年後半から現在まで展開されてきました。
サイコは1960年の映画です。すごい先見の明だと思います。ヒッチコックは「母性」の持つ恐ろしさのようなものを描きたかったのでしょうし、フロイトの精神分析を柱として物語を紡いだらこういうのができるかも、と作っていったのだと思います。その柱のぶれなさがあってこそのサスペンスでありスリラーでもあると思います。ただただ怖い映像の映画というのは遊園地のお化け屋敷みたいなもので、作り物だとわかるからどこかで冷めてしまいますが、ヒッチコックは人の根源的な不安を心理学的理論を柱にして描写するので、いつの時代の人が観ても、その不安が喚起されて真の恐怖に導かれる。そして観た後に色々考えさせられる。
日本の国民的女優がシャワーのときにはシャワーヘッドを背にして入口側を見ながらでないと浴びれないとテレビで言っていたけれど、まさにその不安をヒッチコックは本作の有名なシャワーのシーンで描いています。その女優もサイコなんて観たことないだろうけれど、誰しもが持つ普遍的な不安のイメージを描いています。
ただ、グレートな母親イメージに飲み込まれるのを克服してお姫様(パートナー)を手に入れるというある種ディズニーアニメなどに見られるような展開にもなっておらず、かといって代替のストーリーが提示されてもいないです。
やはり本作を観た後に「北北西に進路を取れ」とか「裏窓」を観ると、もっと発見があるような気がします。
それにしても何で鳥がマザコン的母親イメージなのか。そもそも最近はマザコンというのもちょっと死語な気もしますし。
飲み込まれる前に鳩サブレとか食べたら閃くかも。ただ、あれは脚がないしな。でも脚があったら割れちゃってサブレにできないしな。
#ヒッチコック #サイコ#グレートマザー