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緩い登り坂、とは言え自転車で漕ぎ続けていると、どんどん体力が奪われる。
ここは、川に架かる橋の上の前半だ。
大きく長いこの橋の下を流れる川は、さほどの幅はない。
ならなぜ橋がこんなにも長いのか。
過去数百年とここに流れ続けているであろう川が氾濫を起こしてきた歴史の教訓なのか、河川敷の位置が異様に高い。
この河川敷の高さに合わせて車が通行できるような無理のないアーチ状の橋を架けるとしたら、このような巨大な橋が出来上がるのだ。
橋の全長を3等分して、中央の1が河川敷と川の長さ。
端の1ずつは、まだ川に沿った一般道や住宅が横や下に見える。
僕は、橋を渡って一つ隣の大きな街へ行き、百貨店へ手土産を買いに行こうとしていた。
橋の中央まで来て、ふと自転車を停める。
橋の中央というものは、だいたい良い景色だ。
空がひらけていて、東西南北に大きな街の高層ビルやタワマンが遠くに見える。
電車、特に地下鉄に乗ってしまうと街同士の繋がりを感じにくいが、ここに立てば一気に拝めることができて、街というものは繋がっているんだとこの目で確認ができる。
この景色を写真に収めようかとカバンのジッパーに手を伸ばした矢先、背後に大型トラックが通って橋が大きく揺れる。
初めてのことではないが、それにしてもこんなに勢い良く揺れるのに壊れないなんてすごいな。
僕は何かの恐怖症だ。
橋を渡った後に、この橋が崩れて自宅に帰ることができなくなったらどうしよう。
エレベーターもだ。
閉じ込められて、ここでミイラ化したらどうしよう。
それを考えるだけで勝手に心拍数が上がってしまう。
何度体感しても慣れないでお馴染みの「揺れ」が怖かったのですぐに自転車に乗り直し、橋を渡りきった。
よくよく考えれば、あんな大型トラックが毎日無数に通り過ぎているのに橋は全然壊れないんだ。
大丈夫、大丈夫。
小さな橋なら壊れても被害が小さく、町の皆さんと協力して再建することがむしろ地域の繋がりにもなるという、古いはずだが僕にとっては新しい発想だ。
僕の地元の大きな橋が壊れたら、たくさんの人が国交省や業者に責任を追及して怒るだろう。
しかしこの橋が壊れて怒る人は(たぶん)いない。むしろ地域イベントのように粛々と作業が進んでいく。
交通量も川幅もまるで違うことは分かっている。
交通でもライフラインでも、何かが思うようにならず想定外に足止めを食らうことはある。
時季的なものとも言われていて仕方がないが、ついこの間までは何週連続かと言いたくなるくらい、事故により電車が止まってしまっていた。(みなまでは言いません。)
もちろん、粛々と運行再開を待てる人もいる。
「一日一善以上」を掲げて生きる僕であれば、周囲を見渡して状況が分かっていない感じの人に声をかけてみたりもする。
一方的に「教えて差し上げる」の立場だと嫌味な感じがするので、僕も確実には分からないんですが、の姿勢を心がけて、一緒に状況を確認し合う。
何が起こっているのか分からない不安が怒りに変わる前に、声を掛け合ってみんなでほぼ同じ感情に持っていく。
これだけでも、平和な世界への一助になっていると僕は信じている。