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書評 月光仮面の経済学 金子勝

著者は自分が三田の通信で学んでいたころの通信教育部長だった。当時在籍していたサークルで、ダメもとでオーダーしたら、講師で来てくれたことがあり、メディアの裏話とかミラーマンと飲みに行った話とかしてくれ、有名なだけあって、多くの人が集まりサークルの勧誘に貢献してくれた。それはそれで感謝しているのだが、基本著者のスタンスは、正義か否かだった。この本が出た当時は、まだ銀行の不良債権問題が政治課題だったり、郵政民営化など小泉構造改革の是非が問われた時代だった。とはいえ、当時の著者が原理主義者的だったかといえばそうでもなかった。例えば、後に日本振興銀行を開業することになる木村剛を憂国の士と持ち上げたり、プリンター1本に経営資源を絞ったキヤノンの御手洗富士夫の経営判断を評価したりと、資本主義に敵対心を燃やすような感じではなかった。ところが、木村は竹中氏に取り込まれ、振興銀行の破たんや検査逃れでお縄になり、御手洗も経団連会長の座に就き、その後偽装派遣で批判されることになった。思えば、その辺りから「反グローバリズム」とか訳の分からない方向に行ってしまった。メディアでもひところほど見かけなくなった印象だ。

この本をふと思い出したのは、先の参院選の結果や安倍元首相の狙撃事件を見ていて、れいわや社民、参政、N党が議席確保しているや、亡くなって海外の外交での評価とは逆に、モリカケ問題や統一教会との接し方などで、元首相に批判的な意見がネットやメディアで取り上げられていることだ。やはりどこかで、「正義」VS「悪」で判断したくて人々は仕方がないのかな、というのが個人的には強く感じるところだ。

そして、もう1つ思い出したのが、湯浅誠氏の「ヒーローを待っていても世界は変わらない」という本だ。湯浅氏といえば、派遣村や子ども食堂の活動で知られるが、結局は善悪論を語っていても、世の中は変わらないのだ。湯浅氏が「月光仮面の経済学」を知っているかはわからないが、行動でしか世の中は変わらないし、待ちの姿勢や文句だけではだめだということを何か最近強く感じる。


#書評 #金子勝 #湯浅誠