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メディア評 個人の時代
新年、自らの過去のSNS投稿を振り返っていたら、2011年の年初の2つの投稿で、以下のようなことを書いていました(改稿)。いずれも昔から拝読している経済学者池田信夫氏のブログを引用したものです。
2000年代に入ってから、ブログやメルマガ、TwitterをはじめとするSNSが浸透し、会社、学校、家庭といった枠を超えて、オンライン上だけでなく、リアルな場でのつながりが形成されつつあります。そんな中、2011年の正月に池田信夫氏が「徹底的に壊れたところからの個人の自立」旨のをブログで書かれていました。もう、昔のような時代は戻ってこない。だとすれば、個人が自立=自律して生きていく以外にはありません。ちょっと辛いことがあるかもしれませんが、楽しいこともあるかもしれない。それが真に個人が生きる時代の元年になるのでは?と感じております。
地方から「○○都」構想が相次いで出てきています。これ以上、中央からの動きを待っているだけでは、もう瀬戸際のところに来ているからでしょう。地方分権ももちろん重要ですが、そこにまた「プチ」中央ができて、また利益分配の構造ができるだけでは、結局元も子もありません。いま、むしろ考えていくべきなのは、「政治の最小化」でしょう。池田信夫氏がブログで1年前(2010年)に指摘したように、個人の意思を投票で集計する民主主義には本質的欠陥があるため、必要なのは公的意思決定をなるべく政治にゆだねない制度設計が必要で、政治に参加することではなく、政治が個人の生活に干渉する領域を最小化する必要があるのではないでしょうか?ネットで「個人」が容易に情報発信でき、あるいはネットを介して、商取引できるようになっている昨今、「政治を最小化」して、何でもかんでもお上に頼み込まず、自律的に決めていく仕組みを模索していく時期に来ているような気がしてなりません。
上記より11年経ち、動画配信やLINE、そしてこのnoteなど、「個人」が情報を発信するツールは数多く出てきています。しかし、社会全体や政治の動きは追いついていない印象は否めません。特にデジタルに関する取り組みは、過剰な個人情報保護のため残念な状況で、池田氏は早くからその辺りを下記の著書で警鐘を鳴らしていました。今年はアフターコロナで、新しい世の中に向かうなかで、どこまで個人の時代が進んでいくのか。さまざまなシーンでこうした動きを注視していきたいところです。