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授業で重要にしていたこと
こんにちは、理学療法士のおかむーです。
今回は、「授業で重要にしていたこと」について、お話したいと思います。
ただ、これは私見ですので参考までに。
学校の教員として、授業をすることは大事な仕事の一つです。
仕事の一つとしたのは、多義にわたる仕事があるからです。
それは、他の職業でも同じだと思いますが。
私が担当していた科目は‘運動学’でした。
臨床でも‘運動学’を主軸に患者さんを見ていたので、自分の中では重要な科目と位置づけていました。
当初、1・2年生に‘運動学’を教えていましたが、それでは私が理想とする所まで到達出来ず、上司に頼み込んで3年生までの3年間に延長してもらいました。
当然、実施するのは3年間いずれも前後期です。
主軸と考えていた‘運動学’
如何に、学生達に浸透させ、無意識下で影響を与えるか!?
義務教育~高校まで、学生達の無意識下で影響を与えているのは試験です。
よいか、わるいかは別として、彼らは試験で育ってきたようなものです?
そこで試験は、私でも酷かなと思うほど難しくしました。
そして、出来なければ落としました。
ただ、再試はあります。
再試も簡単ではありませんが。
すべての科目をそうしてしまうと、学生達は疲弊してしまうのでメリハリは必要ですが。
それにより、「あの科目はやばい!」と思わせるようにして、真剣に取り組む姿勢を作りました。
ただ、嫌いになってしまうと、その科目は学生時代で終了になり、蓋をしてしまいます。
大変だけど好きにさせるには!?
リハビリの学校に入学してきた学生達は、自身が患者として経験したり、身近な人のリハ体験を見て、そのイメージで来ています。
なので、最も興味があるのは、イメージにある臨床です。
そこで、1年次から臨床と絡める手法で行ないました。
また、私も知識を臨床に活かすことを目標としていたのでWの効果でした。
そして、最も重要にしていたことは、学生達の授業中の心情です。
こればかりは他人の状況はわかりませんので、自分に置き換えて考えました。
自分が講義や指導を受けて、スーと頭に入り、残るのは
① 興味があること、好きであること。
② 内容として、展開があり、メリハリがあり、面白く感じ、視覚で捉えてイメージ出来ること。
③ 環境としては、リラックスして見聞きできること。
④ 心情としては、飽きて、疲れて、苦痛に感じて、もういいやと思わないこと。
です。
授業内容が内容だけに、こちらをなめてかかる生徒はいませんでした。
ただ、1年次の初めの頃は高校生気分が抜けず、そのような学生もいましたが。
すると、当然ですが、こちらが上で学生が下の師弟関係です。
なので、学生達はじっと我慢します。
すると、それに対して体が反応し、他人にわからないようにして寝たり、他の事を考えたり、作業したりなど、今の講義をシャットダウンさせます。
そして、試験は一夜漬けで行ない、試験にクリアすると、ほぼ完全に覚えた内容は頭から消えます。
結局、あの時間は何だったの?と、こちらは思ってしまいます。
学校の授業は、内容に興味があって、お金を払って聞くものとは違い強制です。
すべての学生に興味を持ってもらうのは不可能です。
すると、自分が講義や指導を受けて、スーと頭に入り、残る内容で
④心情としては、飽きて、疲れて、苦痛に感じて、もういいやと思わないこと。
は重要な位置になります。
そこで、授業中は学生の顔色をうかがっていました。
余談ですが、教壇はすべての学生の顔や姿勢・行動が見えるように作られています。
特に、教壇に立って見るのは遠方です。
ですので、教室の一番後ろの両サイドは目立つ箇所の一つになります。
話しを戻しますが、学生の顔色や仕草を伺うことで、授業への姿勢をある程度判断できます。
このことは、患者さんを見るのと同じです。
飽きているかな? 疲れているかな?と感じたところで休憩を取ります。
ただ、90分授業で40分講義し、5分間の休憩を取ると、残りは45分です。
学生達は、授業が面白かろうがなかろうが、強制的に座らせられています。
40分講義を受け、残りが45分とすると気が重くなります。
そこで、後半の講義は全般より時間を短くします。
短くすることで気の重さが少しやわぎ、その分、気分良く講義を受ける環境に近づきます。
ただ、学生が1回に集中できる時間は、内容にもよりますが、私の科目の場合、学生達の様子から30分ほどかと思いました。
なので、そこで休憩をとっていました。
午後一番の授業の場合は、最悪の時間になります。
そこで、学生の様子を見て、時に、お昼寝時間を15分ほどとりました。
また、考えさせる時間や試験返却後の見直し時間では、少しでもリラックスして行えるように、私が教壇でわざと寝た振りをしたり、教室から離れたりしました。
そこで、耳で学生達の様子をうかがっていました。
わざと寝た振りのつもりが、本当に寝てしまうこともありました。
「あっ、やば!」と起き、生徒の顔を見るとクスクスと笑われましたが、これもリラックス出来る環境で、「有かな?」と開き直りました。
時に、上司から呼び出され、「先生の教室は騒がしいですよ」、「先生の授業中、生徒が寝てましたよ」、「終了時間が早くないですか?」と指摘された事もありましたが、このやり方は止めませんでした。
以上のように、授業は、学生達の負担が少ない時間調整等で、「え~、これで終わり、もう少し聞きたい!」、「時間が過ぎるのが早い」と口ずさませることを一つの目標とし、次回の授業が待ち遠しいと思わせるように心がけました。
この口ずさみは、実際、授業終了後に学生が何気に言った言葉です。
もしも、「学生はセラピストになるために入学し、学校の授業に出て、講義に集中するのは当たり前だ!」と思われている方がいれば、それを傍らに置いて
学生の立場から「半強制的に座らされている」、「見た目は聞いているようでも、体が反応している」と思い
学生の心情を表情や姿勢から伺って、それを考慮して授業展開されると、今までとは違う景色が見られるかも知れません。
最後に
1年生から3年生までの授業を担当していたお陰で、高校生からセラピストの風貌への変化が見えました。
ただ、授業となると、1年次は真剣に聞いていた態度が、学年が上がるにつれて、そうでは無くなってきました。
3年になると、授業が始まると同時に、目がうつろになる生徒もいました。
「昼休みはあんなに騒いで、目も輝いていたのに!」と思うくらいです。
授業内容としては、学年が上がるにつれて面白くなっているはずなのですが!?
しかし、このうつろは、反射反応的なものと感じました。
如何に、そのような反応を作り出してしまう授業が多かったかが伺えます。
そのような授業展開は、生徒を後退させてしまう可能性があります。
現在も勉強会を開くことがあります。
その講義で、やはり目がうつろになる受講生がいます。
それも反射的な反応で、卒業して何年も経っているのに、学生時代の副反応が今も残っているのでは?と思ってしまいます。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。