幸せはいつも傍にある
「まだ隣に居る気がする」
「名前を呼ばれた気がする」
「何もしないけど、ただ居てくれるだけで良い」
「寝たきりでも、居てくれる方が良い」
これらは、様々な患者さんのご家族のお言葉。
何というか・・・これだけ聞いても私自身が泣きそうになる。
恐らく私が新卒で就職した頃には、今ほどこのような気持ちにはならなかったと感じます。
それは私自身が結婚して家族を持ったことや、年齢を重ねるうちに様々な経験をしてきたことが大きいと感じます。
もちろん、単純に脳機能がそのように変化してきたとも言えるかもしれませんが・・・。
これらのお話をされる際、多くの患者さんのご家族は気丈に振る舞い、時折笑顔も見せながらお話しして頂ける。
でも、当然「悲しい」という気持ちは痛いほど伝わってくる。
感じるのは、何気ない日々を何気なく過ごせることは、間違いなく幸せと言えるということです。
療法士として仕事をしている以上、「人の死」に接することが多くなります。
だからこそ、日々を当たり前に過ごせることは当たり前ではなく、それがどれだけ多くの奇跡の上に成り立っているのかを感じなくてはいけないと思います。
もちろん、どのように感じるのかは、療法士と言えど人それぞれ。
とは言え、やはり深く関わっていた方が亡くなるほど、悲しいものです。
何年も療法士をやっていますが、慣れることはなさそうです。
このような機会にいつも感じることは、小さいかもしれませんが「幸せ」は必ず自分の傍にあるということです。
そして、少し厄介な所は失ってからでなければ、それに気付かないということです。
日々当たり前に過ごせることに感謝しましょう!などと言うつもりはありません。
しかし、失くしてから気付くよりも、失くす前に大切にする習慣を身につけると、人生が豊かになるのだろうなと感じます。
少なくても後悔は軽減できると思います。
常に実践することは難しいかもしれませんが、もう少し当たり前の「今日」や「今」を大切にする。
どれだけ日々が忙しく、辛くても「明日が来るのは当たり前ではない」ということを念頭に置いておく必要があると思います。
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