#124 【紙偉人】蔡倫
『紙について楽しく学ぶラジオ/Rethink Paper Project』
このラジオは、「紙の歴史やニュースなどを楽しく学んで、これからの紙の価値を考えていこう」という番組です。
この番組は、清水紙工(株)の清水聡がお送りします。
よろしくお願いします。
山梨の和紙産地に来ています
私、山梨の和紙産地、西嶋と市川に来ております。
山梨の和紙産地、初めて来ましたけど、すごいですよ!
驚きの連続でした!
西嶋和紙の産地内に、蔡倫社という場所がありました。
蔡倫といえば、この番組でも最初の方で取り上げました。
紙を語る上で避けて通れない人物No.1ですよね。
というわけで、今回は、山梨の和紙の歴史はまたするとして、「蔡倫」にスポットを当てたいと思います。
今回は、「蔡倫」について知らないという方も分かるように、また、どんな性格だったのかと言ったパーソナルな部分にも踏み込んで解説していきたいと思います。
それでは、蔡倫について詳しく見ていきましょう!
蔡倫の人物像
まずは、蔡倫がどんな人物だったのかについて掘り下げていきたいと思います。
蔡倫は、63~121年、つまり後漢の時代を生きた人です。
後漢がいつかというと、三国時代の一コ前の時代です。
わずか12歳の時に、宦官(かんがん)、朝廷の役職に登用されます。
そして、26歳の時には、中常侍(ちゅうじょうじ)という、皇帝の側近にまで上り詰めます。
一言で言うと、めちゃくちゃやり手です。
そして、性格はというと、とても誠実で潔癖な人だったそうです。
非常にモテたことでしょう。
そんな性格であり、学問や工作を好むという事等が評価され、34歳の時に、「剣とか武器とか、さまざまな品物の製作監督や製造技術確立をしたまえ」という重要な任務を任されます。
ここから、紙の開発が始まっていくわけです。
紙の開発へ
そして、42歳の時、高品質な紙の製造に成功します。
この紙はすんごく優秀な紙だったので、「蔡侯紙」と呼ばれて、広く使われるようになりました。
その後も、朝廷の重職につきますが、58歳の時、朝廷の内部争いに巻き込まれ、記録改ざんの罪に問われて、毒をあおって命を絶ちます。
今で言うと若いですが、時代的に、長生きと言えるでしょう。
蔡倫の功績は、後世にまで語り継がれ、中国では、紙の神様として、紙屋の壁には必ず肖像画が掛けられているそうです。
包括
さて、20世紀になるまで、紙を発明したのは蔡倫だと信じられてきました。
しかし、その伝説は崩れ去ります。
考古学調査団が、前漢時代の遺跡から紙を発掘したのです。
このことによって、蔡倫が紙の発明家という事実はなくなりました。
現在の歴史家は、蔡倫は、「製紙技法を確立させた」とか「紙の商業化を成功させた」とか「紙を書写媒体にしようと最初に気づいた」とか色んな説が言われています。
確かに、蔡倫以前の紙は、主に包装紙として使われていて、文字を記すものではありませんでした。
いずれにしても、蔡倫が紙の普及に関わった重要人物であることは間違いありません。
いかがでしたでしょうか。
今回は、蔡倫について少し踏み込んだ解説をしてきました。
誠実で潔癖。
学問や工作が大好き。
皇帝側近の優秀なエンジニア、蔡倫。
彼が普及させた紙は、世界四大発明として現在も使われています。
そして、何より驚きなのが、紙は現在でも同じ製法で作られているということです。
そんな偉大な功績を受けて、マイケル・H・ハート氏の書籍『歴史上で最も影響を与えた人物べスト100』では、7位に選ばれています。
因みに、8位はグーテンベルクです。
という訳で、今回は以上となります。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。