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『稲盛和夫一日一言』 12月10日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月10日(日)は、「反省ある日々 ②」です。
ポイント:「反省ある日々」を通じて得た「人格」こそが、最も堅固で気高いものであり、素晴らしい人生へと導いてくれるもの。
2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の「反省ある毎日を送る」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
人生では、心を高めていこうとしても、「言うは易く行うは難し」で、いざそれを実践しようとしてもそう簡単にできるものではありません。
よほどの聖人君子でなければ、善い考え、善い行ないを貫けるものではありません。悲しいかな、人間とはいくら善いことを思い、善いことを行おうと思っても、ついつい至らぬことをしてしまうものなのです。
それは、かく言う私も同様です。ともすれば悪い心にとらわれがちな自分を戒めるために、私はいつのころからか、一つの自戒の儀式を自分に課しています。
おごり高ぶり、慢心、そうした悪い思いが、自分の中でもたげてきたときには、すぐに反省の機会を持つように、若いころから努めているのです。
例えば、少し威張ったようなことや調子のいいことを言ってしまったとき、また自分の努力が足らなかったときなどには、夜遅くホテルや家に帰ってから、あるいは翌朝目ざめてから、洗面所の鏡に向かい、「バカモンが」と、自身を厳しく𠮟りつける。すると続いて、「神様、ごめんなさい」という反省の言葉が自然と口をついて出てきます。
自省自戒をして、明日あるいは今日からは、また謙虚な姿勢でやり直そうと心に言い聞かせる。いつのまにか、そうした習慣が身についてしまいました。この習慣が軌道修正の役割を果たし、私の人生は今まで、大きく逸脱することはなかったのです。
大事なことは、善きことを思い、善きことをしようと努めながらも、もし悪いことを思い、悪いことをしてしまったなら、謙虚に反省をすることです。反省することでこそ、人は少しずつでも向上することができるのです。
今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。そんな反省ある毎日を送ってこそ、私たちは仕事において失敗を回避できるだけでなく、人生において心を高めていくことができるのです。(要約)
20001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「神様、ごめんなさい」という反省の言葉について、名誉会長は次のように補足されています。
「神様、ごめんなさい」という言葉が、「神様、ありがとう」という言葉になることもあります。これは、「先ほどの自分の態度はごめんなさい。それから、私に悪いことをしたと気づかせてくれてありがとう」という気持ちの現れです。
それを大きな声で言うものですから、他人が聞いたら気がふれたのではないかと思うでしょう。聞かれたら恥ずかしいものですから、その言葉が出るときには、なるべく自分の部屋など、一人になれる場所にいるようにしています。この言葉が私を戒め、反省させるものになっています。
日々反省するような人は、当然謙虚な人であるはずです。私は「謙のみ福を受く」という中国の古い言葉を引用することがありますが、謙虚な人だけが幸福になれるのです。
謙虚な姿勢がなければ、ラッキーを呼び込めません。ですから、どんなに立派なことを成し遂げようとも、決して傲慢になってはいけません。そのためにも、自ら反省を繰り返す人生を送らなければならないのです。(要約)
反省を繰り返すことで、常に心を純粋な状態にキープしておく。それが自分の行動を善の方向へと向かわせる推進力になってくれるはずです。
「反省」を習い性とし、日々の判断や言動が正しいかどうかを厳しくチェックしていければと思っています。