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『稲盛和夫一日一言』 12月17日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月17日(日)は、「二宮尊徳の生き方」です。

ポイント:日々の仕事に打ち込むことで、人格は向上させていくことができる。一生懸命働くことは、単に生活の糧(かて)をもたらすのみならず、人格をも高めてくれる。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「人生を通じて大切にしてきたもの」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか、私はそうしたことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じて生きてきました。

 戦後の日本では、戦前に道徳が思想教育として誤って使われたという反省と反動からほぼタブー視されてきました。しかし、本来そうしたものは、人類が育んできた知恵の結晶であり、日常を律するたしかな基軸とすべきもののはずです。
 今こそ、人間としての根本の原理原則に立ち返り、そうしたものに沿って日々をたしかに生きることが求められているのではないでしょうか。

 それでは、人格を練り、魂を磨くには、山に籠ったり、滝に打たれるなどといった何か特別な修行が必要なのでしょうか。私はそんなことはないと思っています。むしろ、この俗なる世界で日々懸命に働くことが何より大事なことなのではないでしょうか。

 一般によく見受けられる考え方は、労働とは生活するための糧、報酬を得るための手段であり、なるべく労働時間は短く給料は多くもらい、あとは自分の趣味や余暇に生きる。それが豊かな人生だというものです。そのような人生観を持っている人のなかには、労働をあたかも必要悪のように訴える人もいます。

 しかし、働くということは人間にとって、もっと深遠かつ崇高で、大きな価値と意味を持った行為です。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果があります。単に生きる糧を得るという目的だけでなく、そのような副次的な機能があるのです。

 例えば、二宮尊徳は生まれも育ちも貧しく、学問もない一介の農民でありながら、鋤(すき)一本、鍬(くわ)一本を手に、朝は暗いうちから夜は天に星をいただくまで田畑に出て、ひたすら誠実、懸命に農作業に努め、働き続けました。そして、ただそれだけのことによって、疲弊した農村を、次々と豊かな村に変えていくという偉業を成し遂げました。

 やがて、その業績によって徳川幕府に登用され、並み居る諸侯に交じって殿中へ招かれるまでになりますが、そのときの立ち振る舞いは一片の作法も習ったわけではないにもかからわず、真の貴人のごとく威厳に満ちて、神色さえ漂っていたといいます。

 つまり、汗にまみれ泥にまみれて働き続けた「田畑での精進」が、自身も意識しないうちに、自ずと彼の内面を深く耕し、人格を陶冶(とうや)し、心を研磨して、魂を高い次元へと練り上げていったのです。

 働くという営みの尊さは、そこにあります。心を磨くというと、宗教的な修行などを連想するかもしれませんが、仕事を心から好きになり、一生懸命精魂込めて働く、それだけでいいのです。そうした日々の精進を通じて、自ずと魂が磨かれ、厚みのある人格が形成されていくのです。(要約)

 今日の一言には、「二宮尊徳は、生涯を通じ、田畑で懸命に働き、刻苦勉励を重ねていく中で真理を体得し、人格を高めていきました。そのような尊徳であったからこそ、リーダーとしてたくさんの人々の信頼と尊敬を集め、多くの貧しい村々を救うことができたのです」とあります。

 二宮 尊徳は、江戸時代後期の農政家、思想家で、自筆文書に金治郎(きんじろう)と署名している例が多いことから、「二宮 金次郎」と表記されることも多い人物です。今でも全国に、薪を背負って本を読んでいる銅像が1,000体以上も残っているそうです。

 政事は豆腐の箱の如し、箱が歪めば豆腐も歪む

 これは二宮尊徳の名言として伝えられている言葉です。まさに、連日報道されている政治資金パーティーを巡る裏金疑惑などで右往左往している政治家たちを表しているかのような言葉ではないでしょうか。

 しかしながら、人一倍執着心の強い人たちばかりですから、何とかして国家権力の中枢に居座り続けようと画策するのでしょうが、一国民として、そうしたことは決して許してはならないと思っています。

 人道は一日怠れば、たちまち廃れる

 これも二宮尊徳の言葉です。日々、真摯に、真剣に生き抜こうとする姿勢を忘れてはならないという教訓ではないでしょうか。


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