『稲盛和夫一日一言』10/30(日)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10/30(日)は、「第二の人格」です。
ポイント:哲学、フィロソフィは理性で理解するだけではなく、繰り返し学び、自らの血肉としていかなければ意味がない。そうすることによって、自分の性格の歪みや欠点を修正することができ、「第二の人格」をつくり上げることができる。
2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、ご自身の得度とその後の修行を通して感じられたことについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
得度とその後の修行は、私にとってやはり厳粛で、かつ鮮烈な体験でした。自分の内面で何かが確実に変わっていくことも実感できました。一方、いくら修行に努めようが、私たち凡夫は悟りに達することはできないだろう、普通の人間が悟達の境地を得ることはしょせん不可能であるということも痛感しました。どれほど持戒に努め、精進を重ね、長時間座禅を組もうとも、私のように意志が弱く、煩悩から完全には離れることのできない人間は、心を磨くためにいくら善いことを行おうとしても、私欲を完全になくし、常に利他の思いを持ち続けることはできそうもない。私を含め、人間とはそれほど愚かで不完全な存在なのだと。
しかし、それでいいのだということもよく理解しました。そうであろうと努めながら、ついにそうであることはできない。しかし、そうであろうと努めること、それ自体が尊いのだということです。戒めを十分には守れなくても、守ろうとする気持ち、守らなくてはいけないと思う気持ち。守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち。そうした思いこそが大事なのであって、そのような心をもって毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことにつながり、救いにも通じる。そのことを、得度や修行によって信じることができるようになりました。(一部要約)
また稲盛名誉会長は、「私たちの人生とは、私たちの人間性を高めるためのプロセスにほかならない。生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいく、もって生まれた自分の心を、そのような美しい心へと変化させていくことこそが、私たちが生きる目的だ」とも言われています。
今日の一言にあるように、素晴らしい哲学、フィロソフィを理性で理解するだけでなく、繰り返し学ぶことで血肉化する。それによって、自分がもともと持っていた性格の歪みや欠点を修正し、新しい人格をつくり上げることができれば、少なくとも生まれ出てきたときよりも魂が磨かれた状態で現世を終えることができます。それが天から自分に与えられた寿命、いわゆる「天寿を全うする」ということにつながるのではないでしょうか。