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『稲盛和夫一日一言』11/20 Review

 こんにちは!R&P企画 emuです。
 2024年8月1日より、連続投稿3年目に入りました。これを機に、しばらくは過去2年分をレビュー掲載していく予定です。

 11月20日、今日の一言は『許す心』です。

 心を高めることが現世の中で一番重要なことだとすれば、許せないものを許そうとすることは人間の感情において最も厳しい葛藤であり、最大の修行をさせられていると考えられる。しかし、これを乗り越えていくことが何よりも心を高めることにつながり、それによって魂が光り輝くはずだ。

 「人間だから何かに反応して怒るのはあたり前です。怒る自分を否定せず、そこから一歩踏み込んで『なぜ怒りというリアクションが自分に起きたのか』をよく観つめてみる。そうすれば、怒りは自分をよく知るための格好の材料になるでしょう。」

 怒りを無理に抑え込もうとしたり、怒りをあたかもないことにしたりすれば、その瞬間は取り繕えるかもしれませんが、それは対症療法にすぎません。根本的な解決を目指すためには、怒りの本当の原因を探り当てる必要があります。深く理解することで怒りの根っこが変容してくるはずです。

 仏教では、怒りを、根本的な煩悩である「三毒」のひとつとしています。
 三毒とは、必要以上に物を求めるむさぼり「貪(とん)」、怒りの気持ちである「瞋(じん)」、真実を理解しない愚かさ「痴(ち)」の3つです。誤解されていることが多いのですが、仏教は単純に「煩悩を捨てよ」と教えているわけではありません。

 仏教の開祖であるブッダは、苦しみを解決しようとして瞑想や苦行といった様々な修行を徹底的に試みました。その結果、瞑想や苦行はあくまでも苦しみからの逃避であり、最終的な解決にはならないという洞察を得たのです。そこでブッダはそれらを放棄して涼しい木陰で静かに坐り、苦しみの発生するありさまを深く観ようとしたのです。坐禅とは、そうしたブッダの営みを追体験する行です。ですから、坐禅は苦行ではなく、自己を深く観つめ、それに親しむ修行なのです。

2016年 『PRESIDENT』許せない相手を許す「仏教3.0」の智慧 (藤田一照著)より

 本記事を通して「京セラフィロソフィ」「稲盛経営哲学」に接することで、皆さんが少しでも毎日を活き活きと過ごされんことを願っております。


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