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『稲盛和夫一日一言』 3月13日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3月13日(水)は、「才子の落とし穴」です。

ポイント:才子というのは往々にして、今日をおろそかにする傾向がある。また、功を焦るあまり、思わぬところで足をとられることも少なくない。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)の中で、「人材は君子だけでなく、小人を使ってこそ大きな仕事ができる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 企業は一般に、一流大学の出身者、いわゆる成績の優秀な人を採用しようとします。また、会社に入ると、「仕事ができる」「能力がある」という基準で人間を測り、順に昇進させ、役員に引き上げ、社長に押し上げます。

 能力は、ないよりあった方がいいに決まっています。しかし、才だけに人の価値を認め、人間性や人格は二の次であるという考え方は、組織をむしばむことになりかねません。西郷は、人材の登用について、こう述べています。

【遺訓六条】
 人材を採用するに、君子小人の弁酷(べんこく)に過ぐる時は却って害を引き起こすもの也。その故は開闢(かいびゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、その長所を取りこれを小職に用い、その材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸ありて用便なれば、用いざればならぬもの也。さりとて長官にすえ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」と也。

【訳】
 人材を採用するにあたって、君子(徳行の備わった人)と小人(人格の低いつまらない人)との区別を厳しくし過ぎるときは、かえって災いを引き起こすものである。その理由は、天地が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の心情を思いはかってその長所をとり、これを下役に用い、その才能や技芸を十分発揮させるのがよい。藤田東湖先生はこう申されている。「小人は才能や技芸があって用いるに便利なものであるから、ぜひ用いて仕事をさせなければならないものである。だからといって、これを上役にすえ、重要な職務に就かせると、必ず国を覆すようなことになりかねないから、決して上に立ててはならないものだ」と。

 人を登用する場合、才能よりもその人物を見なさい、と私は何度も言ってきました。しかし、それは能力ある人を使ってはならないということではありません。

 遺訓には「君子」という言葉が出てきます。君子とは、素晴らしい徳を持ち、信望のある人のことをいいます。また、能力的にも素晴らしいものを持っている人です。
 「あの人は人間ができている」「あの人は徳がある」というように人柄もよく、人から信頼されるに値する人間性を持っているのに加えて、優れた能力も持ち合わせているという意味で、西郷は君子という言葉を使っています。

 
 次に、「小人」という言葉が出てきます。小人とは、才能面ではたいへん優れているが、人間的な修練の未熟な人、悪人ではないがまだ十分に人間ができていない人だと解釈していいと思います。
 我々の周囲、または社会を見たとき、そういう小人がリーダーになっている場合がよくあります。企業では、年功序列制度にしろ、実力主義にしろ、能力本位で評価されるために、地位と人格が一致しないという矛盾をよく感じるわけです。

 本当は人格と地位がパラレルになる。つまり、人物がよいから地位も上がっていくというようにしなければならない。しかし、難しいことに、現実には君子は非常に少なく、小人がはるかに多いのです。まさに、「人ありて人なし」という状況です。
 そのようななか、小人は採らない、使わないというのでは、組織は成り立たず、仕事もできなくなってしまいます。人格的にはあまり十分ではないけれども、才能があり、能力のある人にも、組織の中で十分に力を発揮できる場を与えて、使っていくことが大事なのだと、西郷は言っているわけです。

 人間ができていない人は使いたくないと思っても、そのような人を使わなければ、大きな仕事はできません。人物ができていないという欠点を見抜いたうえで、その人が持っている長所、能力を組織内でどう活用するかを考えることも、トップの大切な仕事なのです。

 徳や信望がある立派な人間性を身につけた人を見い出し、その人を本当に重要な役職に就けなければなりません。(要約)

 京セラ在籍40年の間、稲盛社長以下8名の歴代社長の元で仕事をしてきました。一社員が自分の会社のトップはどうだったなどと言及できるはずもありませんが、トップとしてふさわしい「徳」を備えていて、社内の人々から信頼、信望を得られている、という基準に合致した人が選ばれ続けてきたかという点については、意見の分かれるところではないでしょうか。

 翻ってこれまでの自分を振り返ると、人間的な修練ができていない、人間ができていない、能力も足らない等々、誠に恥ずかしい限りの状況でした。
 どれほどの余命があるかは定かではありませんが、少しでも人間性を高めていけるよう、これからも「日々精進」するしかないと思っています。


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