『稲盛和夫一日一言』 2月12日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月12日(月)は、「素直な心 ②」です。
ポイント:素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力を始めるという謙虚な姿勢のこと。自分にとって耳の痛い言葉こそ、自分を伸ばしてくれるものだと受け止める謙虚な姿勢が必要。
1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「謙虚なリーダーになる」の項で、リーダーは謙虚でなければならないとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
リーダーは常に謙虚でなければなりません。
権力や支配力を持つと、往々にして人間のモラルは低下し、傲岸不遜(ごうがんふそん)になってしまいます。このようなリーダーの下では、集団はたとえ一時的に成功したとしても、長い間にわたって成長発展していくことはできず、いつかメンバー相互の協力も得られなくなってしまうのです。
残念なことに、今日の社会は自己中心的になりつつあります。うっかりしていると、私たちの判断基準もそうした社会の傾向を反映しかねません。謙虚な姿勢を失うと、無益な、非効率的な対立が生じるものです。
この対極にあるのが、日本古来の「相手があるから、自分もある」という考え方です。昔の日本人は、自分は全体の一部であると認識していました。
こうした考え方は、今でも集団の調和を保ち、協調を図ることができる唯一の考え方だと思います。すべての物事には二面性があることを認識し、その両面を見極めなければならないのです。
運命をともにする集団の一員であるという意識を生み出すために、リーダーは、部下がいてはじめて自分がリーダーとして存在するという、謙虚な姿勢を持つべきです。
常に謙虚なリーダーだけが、協調性のある集団を築き、その集団を調和のとれた永続する成功に導くことができるのです。(要約)
今日の一言には、「とかく能力のある人ほど、人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし本当に伸びる人は、素直な心を持って人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。そうした素直な心でいると、その人の周囲には、やはり同じような心根を持った人が集まってきて、物事がうまく運んでいくものです」とあります。
名誉会長がよく引用された中国古典に、『貞観政要(じょうがんせいよう』があります。その内容は、中国の長い歴史の中でも屈指の名君として知られる唐王朝の二代目太宗李世民(りせいみん)と彼を支えた重臣たちとの間でかわされた政治問答を中心に編纂されており、『書経』と並んで、帝王学の原典とも称される古典です。
2005年発刊の『「貞観政要」のリーダー学』(守屋 洋著 プレジデント社)三章「臣下の諫言(かんげん)に耳を傾ける」の中で、君主が臣下に熱心に諫言を求めることの大切さについて、次のように記されています。
※諫言:目上の人の欠点や過失を指摘して忠告すること。諫(いさ)めること。またその言葉。
昔、晋(しん)の国の平(へい)公という王様が、宴席でぽろっとこんな感想を洩らした。
「人君たるに楽しみなし。唯だそれ言いてこれに違(たが)うなきのみ」
【現代語訳】「君主になっても、何の楽しみもない。いや、一つだけある。それは何を言っても反対する者がいないことだ」
自分の地位や権力に甘えていい気になっていると、身の破滅を招くことになりかねない。そこに歯止めをかけるのが諫言であるが、太宗ほど熱心に諫言を求めた君主は他に例をみない。ただし、臣下(部下)に諫言を求めるためには、君主(リーダー)の側にも格段の配慮が必要とする。
太宗は重臣たちにこう語ったことがある。(以下、現代語訳のみ)
「君主が自らを賢い人間だと思い込めば、過ちを犯しても、それを正してくれる臣下はいなくなる。そうなれば、国を滅ぼしたくないと願っても、かなわぬことだ。国が滅びれば、当然、臣下もその家を全うすることはできない」
「私の下す詔勅(しょうちょく)に不都合な箇所があれば、遠慮なく議論を尽くすべきである。ただ詔勅に署名して下に流してやるだけのことなら、どんな人間にだってできる。わざわざ人材を選んで仕事を委任しているのだから、不都合な箇所があればどしどし意見を申し述べてほしい。私を恐れて、知っていながら口を閉ざす、かりそめにもそんなことは許されないと心得よ」 ※詔勅:詔書・勅書など、天皇・君主の意思を表示する文書の総称
「昔から、帝王には感情のままに喜んだり怒ったりした者が多い。天下の大乱は、すべてそのようなことが原因で起こるのである。決して部下の意見が自分の意見と違っているからといって、咎(とが)めだてしてはならない。部下の諫言を受け入れない者が、どうして上の者を諫言することができようか」
「自分にとって耳の痛い言葉(=諫言)こそ、自分を伸ばしてくれるものだ」と受け止めることができる、懐の深い人間に成長していくためにも、私たちも「謙虚な姿勢」を常に持ち続けていきたいものです。