『稲盛和夫一日一言』 9月25日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 9月25日(月)は、「トップの器」です。
ポイント:企業を発展させていこうとするなら、まずは経営者自身の人間としての器、言い換えれば人間性、哲学、考え方、人格というものを絶えず向上させようと努力を重ねていくことが求められる。
2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、「経営はトップの器で決まる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
経営というのは、組織のトップに立つ人間にかかっています。これは何も社長だけでなく、組織の長でも同様です。組織のトップに立ち、その組織を立派にしようと思うその人が、自分の人格、人間性を磨き立派にしていかなければなりません。
組織の規模が小さいうちは治まっていたとしても、組織が大きくなったときにうまく治めていくことができるのかどうか。
そうしたとき、まさに「自分の器を大きくするような努力をしてきたのかどうか」、つまりトップが持っている人間性、人格、人生観、哲学、考え方といったものを向上させる努力をしてきたかどうかが問われるわけです。
ひとつ、エピソードを紹介します。
京セラは創業以来、ずっと京都銀行一筋で取引をしていました。しかし、上場しようとしたとき、多くの先輩方から「会社の規模に見合うような都市銀行ともお付き合いをするように」とアドバイスを受けました。
いくつかの銀行から勧誘を受ける中、日参されていたある大手都市銀行の頭取とお会いする機会をいただきました。しかし、その銀行の経営理念、経営姿勢をお聞きしようとしても、核心に触れるお話がいただけません。
そこで私のほうから、「創業したころから『PHP』という雑誌を定期購読して、従業員全員で輪読しています。私は松下幸之助さんをたいへん尊敬しており、本などから学んで、同じような姿勢で会社を経営しています」という話をしました。
その話を聞いた頭取は、「君はまだ若いのに、老成したようなことを言ったらあかんやないか。幸之助さんだって若いころはいい加減やった。私も含めて、関西の若い経営者たちと連れ立って飲みに行ったり、ヤンチャなことをしたりしておった」と言われました。
私はその話に驚くと同時に、その頭取に落胆しました。考えてみれば、若いころは幸之助さんにも至らなかった点があったかもしれませんが、年を重ねるにしたがって人間性を磨き、器を大きくして、立派な経営者になっていかれた。私は、そのようなことも理解しようとしない頭取が率いる銀行とは取引しないと決めたのです。(要約)
「器」には、「物を入れる器具、入れ物、容器」といった意味のほかに、
「ある仕事・地位にふさわしい才能と人格、器量、人物の大きさ」といった意味があります。
一般的に、「器が小さい」というと、度量、つまり受け入れる心の広さが小さいことを言います。ですから、「あんた、器が小さいなあ」と言われて喜ぶ人はいないでしょう。そうした人の特徴としては、次のようなことがあげられます。(思い当たることが多い方は要注意です!)
・損得勘定で物事を決める
・思い通りにいかないと不機嫌になる
・自慢話が多い
・嫉妬や束縛が多い
・肩書きで人を判断する
・自分の非を認めない
逆に器が大きい人の特徴には、次のようなものがあげられます。
・長期的な視点で見ることができる
・俯瞰して見る力がある
・本質を捉える力を持っている
・常に平常心をキープすることができる
後年、名誉会長はご自身の人生を振り返って、「(私にとって経営とは)理念を高め続ける日々でした」と述懐されています。
その人の器量、度量は、一生の中でどれだけ「修羅場(しゅらば)」をくぐってきたかで決まる、とも言われています。困難や試練を、自身の「器」を大きくしてくれる「修羅場」ととらえて踏ん張り切れるかどうか。
私自身は、事あるごとに「器の小さい人間やなあ」と思っていて、何事にも自信満々の人を見るとやや自虐的な気分に陥ったりしてきましたが、生涯を通じて少しでも「器」を大きくしていくために、まだまだ踏ん張って生きていかなければと思っています。