『稲盛和夫一日一言』 1月5日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1月5日(金)は、「真心」です。
ポイント:人は、金銭のためでなく、名誉のためでなく、権勢欲のためでもなく、真心によって突き動かされたときにこそ、どんな困難にも負けることなく、最大の力を発揮して立ち向かうことができる。
2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)「第八章 真心」の中で、純粋な真心をもつことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
西郷隆盛は、人間の真っすぐな心というものが最も大切であると考え、自分自身が率先垂範、真心を貫く人でした。江戸から明治という時代の大きな変わり目にあたり、人の心から誠が失われていくさまを嘆き、こんな言葉を弟子たちに遺しています。
【遺訓三七条】
天下後世迄(まで)も信仰悦服(えつふく)せらるるものは、只是一箇(これいっこ)の真誠(しんせい)也。古(いにしえ)より父の仇を討ちし人、その麗(か)ず挙げて数え難き中に、独り曾我(そが)の兄弟のみ、今に至りて児童婦女子迄も知らざる者のあらざるは、衆に秀でて誠の篤(あつ)き故也。誠ならずして世に誉(ほ)めらるるは、僥倖(ぎょうこう)の誉(ほまれ)也。誠篤ければ、縦令(たとえ)当時知る人なく共、後世必ず知己(ちき)あるもの也。
【訳】
この世の中でいついつまでも信じ仰がれ、喜んで服従できるのはただひとつ人間の真心だけである。昔から父の敵(かたき)を討った人は数え切れないほどたくさんいるが、その中でひとり曾我兄弟だけが、今の世に至るまで女子子どもでも知らない人のいないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。真心がなくて世の中の人からほめられるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がいなくても後の世に必ず心の友ができるものである。
曾我兄弟については、今ではほとんど語られることがないので、少し説明が必要でしょう。
これは鎌倉時代の仇討(あだうち)の物語です。現在の伊豆地方の所領をめぐる諍(いさか)いから父を殺された幼い兄弟が、母の再婚で姓を変え、苦渋の生活を強いられながらも、父の仇を二十年近く忘れず、ついに仇討ちを果たしたというものです。仇討の夜襲のとき、兄弟は亡き父が使っていた番傘(ばんがさ)を焼いて松明(たいまつ)代わりにしました。
それにちなんで、昔の薩摩藩では子弟教育の一環として、曾我兄弟が仇討ちを果たした旧暦五月二八日に、古い番傘を焼いて、親や主君に対する忠孝の心を称えていました。
仇討の是非は別にして、人間の真心には何百年にもわたって後世に語り継がれ、多くの人々の心を感動させるような力があります。
才能や知識だけでは、人の心を共鳴させることはできません。人はカネのためでなく、名誉のためでなく、権勢欲のためでもなく、真心によって突き動かされたときにこそ、どんな困難にも負けることなく、最大の力を発揮して立ち向かうことができるのです。
現代の殺伐とした世相にあっても、人は利害損得や欲望だけによって動くものではない、純粋な心こそが一番強いものだということを、私は固く信じています。(要約)
名誉会長は、この章で「純粋な真心をもつ至誠(しせい)の人になれ」と説かれています。至誠には、「きわめて誠実なこと。またその心、まごころ」といった意味があります。
「至誠」という言葉は、あまり日常的に使われませんが、「誠意を尽くす」という言葉ならよく耳にされるかと思います。この言葉には、「見返りを期待せずに相手に尽くす、相手に対して純真な心で接する、働くこと」といった意味があります。ですから、そこには「無私」の心が必要なのです。
誠意を尽くそうとしても、「自分はこれだけやっているのだから・・」といった気持ちがどこかにあれば、かえって相手から失望され、良い関係性を築くことはできないでしょう。見返りを求めることなく淡々と誠意を尽くしていると、ふっとした瞬間にそれが良い結果をもたらしてくれます。
無私の心があればこそ、人生を通して真心を尽くし、至誠を貫くことができます。名誉会長は西郷のことを、「人間によってもっとも難しい『無私』の心を生涯貫くことのできた稀有な人物ではないか」と評されています。
私たち凡人にできることは、迷っても悩んでも、ただひたすら無私の心であろうと努め続けることなのではないでしょうか。