『稲盛和夫一日一言』 8月7日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 8月7日(月)は、「私の経営観」です。
ポイント:会社を経営するためには、前例や常識といったものにとらわれることなく、常に、物事の本質や道理、価値、必要性といったものを問いながら進めていくことが必要。
2015年発刊の『「稲盛和夫の実学」を語る』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部/経理部編 非売品)の中で、「私の経営の原点と会計」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
支援してくださる方々のご好意により京都セラミツク株式会社を設立したとき、私は27歳の一技術者でしかありませんでした。
それでも前に勤めていた会社で、製品の開発から事業化までを担当させてもらっていたので、新しい製品を開発すること、それを生産に移すこと、それをマーケットで売ることの三つについては何とかやれるだろうと考えていました。しかし、経営や会計についてはほとんど何も知りませんでした。
そんな私にできるのは、全身全霊を傾けて目の前の仕事に打ち込むことだけでしたが、部下たちは、創業と同時に経営を任された私にすべての事柄について判断を仰いできたのです。
生まれたばかりの零細企業でしたから、一つでも判断を間違えば会社はすぐに傾いてしまいます。何を基準に判断すればいいのか、どのように経営にあたるべきなのか、私は夜も寝れないほど思い悩みました。
もし、経営を進めていく上で、理屈に合わなかったり、道徳に反することを行なえば、経営は決していまくいくはずがない。そうであれば、もともと経営の知識はないのだから、すべてのことを世の中の原理原則に照らして判断していこう、直面した一つ一つの問題に対して、「そうだ、こうでなければならない」と心から納得できるやり方で道を切り開いていこう、と決心しました。
こうして私は、原理原則、つまり世間で言うところの筋の通った、人間として正しいことを正しいままに貫く経営をしていこうと決めたのです。
今振り返ってみると、それまで経営の常識とされるものに触れたことがなかったということが、かえって幸いしたのだろうと思っています。
経営のあらゆることについて、一から理解し、何事も納得してから判断しようとしたことで、「経営とはいかにあるべきか」という経営の本質を常に考えるようになったのです。(要約)
今日の一言には、「会社を経営するために、前例や常識など、これがなければならないという発想は私にはない」とあります。
名誉会長は、「物事の判断にあたっては、常にその本質にさかのぼる、そして人間としての基本的なモラル、良心に基づいて、何が正しいのかを基準として判断することが重要」と説かれています。
何事においても、物事の本質にまでさかのぼろうとせず、ただ常識とされていることにそのまま従っていれば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなります。また、とりあえず他人と同じことをするほうが何かとさしさわりもないだろう、大して大きな問題でもないので、ことさら突っ込んで考える必要もないだろうなどと考えているようでは、原理原則に基づいた経営にはなりません。
経営においては、いわゆる戦略・戦術を考える前に、まず「人間として何が正しいのか」ということを判断のベースとして考えるべきです。
どんなに些細なことであっても、原理原則にさかのぼって徹底して考えようとすると、そこには大変な労力と苦しみが伴うかもしれませんが、そうすることで初めて、真の意味で筋の通った経営が可能となるのです。
経営に限らず、真っ当な人生を歩んでいくためにも、原理原則に則って物事の本質を追究し、人間として何が正しいかで判断していくこと、を大切にしていきたいものです。