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『稲盛和夫一日一言』 7/31(月)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7/31(月)は、「人生の宝」です。

ポイント:いろいろなことに遭遇しながら生きてきて、どういう魂になったのか。それが人生の宝であり、人生を生きていく目的ではなかろうか。

 2010年発刊の『六つの精進』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「日々の反省によって魂はきれいになる」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 素晴らしい人生を送るためには、日々反省し、自分の心、自分の魂を磨くことがたいへん大事です。一生懸命に働くということと同時に、この反省するということを毎日繰り返していけば、魂は純化され、美しい魂、よい魂へと変わっていくはずです。

 私も若いころには、ときに傲慢になることがありましたので、日課のようにして反省を繰り返してきました。今日は人に不愉快な思いをさせなかっただろうか、不親切ではなかっただろうか、卑怯な振る舞いはなかっただろうか、利己的な言動はなかっただろうかなどと一日を振り返り、人間として正しいことを行ったかどうかを確認することが必要です。

 イギリスの哲学者ジェームズ・アレンの著書の中に、次のような言葉があります。

 正しい思いを選んでめぐらしつづけることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです。
 
 心の中に蒔かれた(あるいは、そこに落下して根づくことを許された)思いという種のすべてが、それ自身と同種類のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます。

『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン著 坂本貢一訳 サンマーク出版)

 誰しも、良心的な、素晴らしい美しい心、利他の心、真我を持っていますが、そのすぐ横にはそうした自分から片時も離れようとしない、卑しく貪欲な、利己的なもう一人の自分が同居しています。
 だからこそ、日々反省することで自我を抑え、自分の魂、心を磨いていくことが必要なのです。

 生きている間は、欲に迷い惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。しかし魂というものは、「生き方」次第で、磨かれもすれば曇りもするものです。自分の人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのです。人間の生きる意味や価値は、そこにあるといえるのではないでしょうか。(要約)

 今日の一言には、「つらいこともあった、楽しいこともあった、いろんなことがあった。それらのことに遭遇しながら生きてきて、どういう魂になったのか。それが人生の宝であり、人生の目的ではなかろうか」とあります。

 忙しく働いていたころは、自分は何のために働いているのかなど、考えたこともなく、またそんなことを考える心の余裕もありませんでした。
 定年後、5年間のシニア勤務を終えてから2年あまり、自分は何のために生きているのか、そしてこれからの人生をどう生きていくのかという命題に、改めて真正面から向き合わざるを得ない状況に置かれた自分がいます。

 名誉会長が言われる「死をむかえるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなければならりません」という教えに対して、「そうですね!」と素直にうなずけるほど心は高まっていませんが、残りの人生、「生まれてきたときよりも、少しでもましな人間になって」天寿を全うできればと願っています。


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