『稲盛和夫一日一言』 4月3日
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月3日(水)は、「満は損を招き、謙は益を受く」です。
ポイント:古来、満ち足りて驕り高ぶる者は大きな損失を被り、一方、常に謙虚に、「相手に善かれかし」と考えている者は、素晴らしい幸運を勝ち取る。これは、時代を超えた世の道理。
2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)「利他は現代の処方箋(しょほうせん)」の項で、欲を離れることの難しさについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
三十代前半、西郷は鹿児島から南西に500キロ以上離れた沖永良部(おくのえらぶ)島に島流しされます。そこで、狭い吹きさらしの牢に昼夜閉じ込められ、凄惨極まりない仕打ちを受けます。
その様子を見るに見かねた見回り役が島の代官に頼み込み、ようやく雨が吹き込まない座敷牢へと移されます。その後、島の人たちの献身的な看病のおかげで命を永らえた西郷は、そのお返しにと、島の子どもたちに「四書五経」などの中国の古典を教えました。
そこで西郷は、子どもたちに「欲を離れる」ことの大切さ、難しさを教えます。一人ひとりが過剰な欲を捨てさえすれば、すべてがうまくいく。それなのに、現実はみんな欲の塊だから、家庭も世の中もうまくいかない。
現代の世相の乱れを、個人の欲が過剰なために起こっている問題だと考えれば、自ずと解決策は出てきます。各人が欲を少しずつ削って自分が損をする覚悟をすれば、また他人に自分の利を譲り与える勇気さえあれば、すべてはうまくいくはずです。しかし、それを行うのが実に難しい。
西郷はそのことを知って、なおかつ「欲を離れなさい」と言っているわけです。
【遺訓ニ一条】(一部抜粋)
総じて人は己れに克つを以(もっ)て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能(よ)く古今の人物を見よ。事業を創起する人その事大抵十に七八迄は能く成し得れ共、残り二つを終わり迄成し得る人の稀(ま)れなるは、始めは能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あらわ)るるなり。功立ち名顕るるに随(したが)い、いつしか自ら愛する心起こり、恐懼戒慎(きょうくかいしん)の意弛(ゆる)み、驕矜(きょうきょう)の気漸(ようや)く長じ、その成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂げんとてまずき仕事に陥(おち)いり、終(つい)に敗るるものにて、皆自ら招く也。故に己れに克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎(かいしん)するもの也。
【訳】
すべて人間は己れに克つことによって成功し、己れを愛することによって失敗するものだ。歴史上の人物をみるがよい。事業を始める人が、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終わりまで成し遂げる人の少ないのは、はじめはよく己れを慎んで事を慎重にするから成功もし、名も現れてくる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心が起こり、畏れ慎むという精神がゆるんで、驕り高ぶる気分が多くなり、そのなし得た仕事をたのんで何でもできるという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分に打ち克って、人が見ていないときも聞いていないときも、自分を慎み戒めることが大事だ。
自分の身を修めるには、克己をもって終始する。これを私なりに表現すれば、「煩悩(ぼんのう)にまみれそうになる自分自身に打ち克つ」、あるいは「抑えつける」ということになります。
つまり、欲にまみれた自分自身と葛藤(かっとう)し、自分自身に克つことができるかどうかで、物事が成就するかどうかが決まる、ということです。
克己の精神が弛んでしまうのは、他人が褒め称えるからではありません。自分自身で、あの苦しい中を頑張り、よくやったではないかと自画自讃(じがじさん)するようになり、謙虚さを失ってしまうからです。すべては自らが招いたことなのだと、西郷は言っているわけです。
欲を離れること、誠を貫くこと、人に尽くすこと。それこそが、病める現代の処方箋であり、人間が正しく生きていくための哲学、真の道徳といえるものなのではないでしょうか。(要約)
今日の一言の出典は『書経』大禹謨(たいう)。
原文は『満招損、謙受益、時乃天道』(満は損を招き、謙は益を受く、時(こ)れ乃(すなわ)ち天の道なり)。
遺訓の中の『総じて人は己れに克つを以て成り、自らを愛するを以て敗るるぞ』の部分について、名誉会長は「人の上に立つリーダーがまさに肝に銘じるべきこと」と述べられています。
少しくらいうまくいったからといって「天狗」になっていないか、心のどこかに「慢心」はないか。
自分を律する強い克己心を持ち続けるのは、そう簡単なことではありません。かねてから、自分を抑える努力、トレーニングを怠らないことが肝心なのではないでしょうか。