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持っているものを生かせる人の幸福(6月24日加筆)

 何度もここに書いていますが、人生の目的は「魂が成長すること」です。特別なことをしなくても生ききるだけで、十分に魂が成長するのだと思います。この現世という世界を見ていて、自分のものではない荷物を背負って、投げ出してもよいことであっても投げ出すこともせず(許されず)、必死に歩いている人もいます。かと思うと、「生きているのは楽しい」「努力した分が全て帰ってくる」とばかりに、人生を我が物顔で謳歌している人もいるのも事実です。現実に人と接し、その人の命(占い用語としての)をみると、そういった人生傾向が現れているのをつくづく思います。

 本当に幸せな生き方とは何でしょう?私は物心ついてから、この答えのない問いを常々考えてきました。どうやら、結局のところ、あまり色々なことを考えずに、持っているもののままに生きるのが幸せではないかということです。わがままになれということではないですが、自由に動いてよい時に、自分の心の声を優先させて生きることができるということです。料理に例えれば、与えられた材料を使って、あの世で決めてきたレシピどおりに料理が作れるということです。

 持っているもののままに生きるとどうなるかというと、変な苦労というのがないのですから、たとえ苦しい・悲しいことがあっても、容易に乗り越えられることが多いのです。乗り越えられないものは持ってこないはずですが、持っているものの状況によっては、乗り越えやすいものとそうでないものがあります。

   持っているもののままで生きられているかそうでないのかを見分ける方法は、無理に何かをしているかしていないかということだと思います。あとは、良いことが望んでいなくても自動的に起こるか起こらないかということです。良いことが望んでいなくても自動的に起こる場合は、まさに、自分が持っているものに、寄り添っている生き方をしている証拠だと思います。なぜならば、必要なことは起こるからです。

 しかし、この世界では全ての人間が持っているもののままに生きられるわけではありません。本人は自分の望むように生きたいと願っても、周囲の人や環境が180度違うことを求め、しかも、本人の努力では、その状況を脱することができないこともあります。私は占いをあくまで固定要素ではなく、傾向として捉えていますが、あらゆる占術で同一の結果が出た要素に関しては、その要素が強いと捉え、これこそがその人が持ってきたものであると捉えています。ここでは、生まれ故郷を離れた方が本人の良さが生かせる命をもっている人について考えてみます。

・もって生まれたと考えられる命:生まれ故郷を離れて生きると成功する。実家にいると就職や結婚がうまくいかない。
・現実問題:介護が必要な家族や依存タイプの家族の面倒をみなくてはならない。
・故郷を離れられる要件:遠い職場への就職や結婚
・対処法:まず、1人でどうにかできる案件である、遠い職場に応募する。つきあっている人または好きな人との関係を良くする。

・現実:遠い職場はことごとく落ちる(これは相手側が、現在の住居地からの通勤と捉えていた場合は、交通費の問題もある)。採用されるために資格をとったりと、市場価値を高めようとするが、資格の場合は家族の問題で試験を受けに行けない。つきあっている人または好きな人と関係は良いが、家族を優先させざるを得ない状況が起こり、結婚まではいかない。

・つまり対処法は失敗。

・実家を出られない=生まれ故郷から離れられない

・本来の命とは異なるため、変な苦労も多い(本来の流れと異なるとひずみがでる場合が多い。例えば、同居家族がこの女性の運を食ってしまったなどなど)

 前半にあげた料理の例で言えば、あの世で、現世ではカレーを作ろうとレシピを作ってきたとして、持ってきたものは、にんじん・じゃがいも・たまねぎ・カレールーであったとします。水や油などは自由に使えると考えてください。こだわる人は色々なものを入れるのでしょうが、とりあえず上記の内容でカレーは作れます。しかし、周囲の環境により、カレールーが使えなくなったとします。本人はカレーを作ることが課題ですので、その代用品になるスパイスや小麦粉を探そうとするものの、お店には見つからず、人にももらえず、スパイスや小麦の元の小麦の栽培から行わなくてはいけなくなった状況をイメージしてください。栽培ということで、どこかの畑を借りる(または1から開墾する)とすれば、天候にも左右されるという手間がかかりますよね。その人の場合は、そういった大変な思いをして、そこから主要の課題に取り組むのですから、馬力も人一倍必要です。

 その反面、同じカレーを作るという課題を持ってきたものの、材料は揃っており、使ってはいけない材料はなかったという状況で、あとはレシピどおりに自分で何とかすればスムーズにできる人もいます。

 私は神仏の声を聞くことはできませんし、起きている状態で霊と対話をすることはできません。確実なことは言えませんが、何をどうやっても、持ってきたものをスムーズに生かせない場合は、それだけ負荷がかかって余計な苦労を背負うのだと思います。さらに、その選択肢がけしておかしいものではないのに、本人が何とか対処しようと動いても、何かの呪いのようにとった策がことごとく潰れていくことにはやりきれない思いがあります。これはコスパ重視の現世では、かけただけのものが返らないので、避けられるべき生き方でしょう。しかし、私は、宇宙まで俯瞰する広い視点を持てば、きっと予想以上に魂の成長があるのではないかと期待もしているのです。

 私が尊敬している四柱推命の先生も、「特に先天運が悪い人は、それだけ修行をさせてもらえると思いなさい」とおっしゃっていました。先生の言葉は、自分の荷物と向き合う処世術ともとれますが、修行ができる=魂の成長につながると思えば、スムーズに理解がいく言葉です。

 以前書いたテーマとかぶっていますが、書いておきたいことは書いておこうというコンセプトなので書きました。


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