健康診断
大阪から東京に転勤してから、一日に歩く歩数が減りました。iPhoneから、一日平均歩数が以前より2,000歩減っています、との警告もあり、気にはなっていたけれどもデータで示されると何かした方が良いのだろうか、と心配になってしまいました。
東京では通勤時、電車に乗っている時間は長いのだけれど、家から最寄り駅、最寄り駅から会社の所要時間が格段に短いのです。大阪ではその逆で、電車の時間が短い代わりに、家から最寄り駅、最寄り駅から会社が程よい距離があり、毎朝・毎晩様々な思いを抱えながらも、自らの足で歩く時間がたっぷりあったのです。
良く考えると、この黙々と歩く時間というのは身体的な健康ばかりでなく、精神的な健康にも良かったのではないかと思います。余程込み合っていない限り自らの好きなペースで、誰にも邪魔されることなく、文字通り我が道を行くことができるというのは、この歳でサラリーマンをやっているとそう滅多にあることではありません。そこで、このことを思い出し、通勤時間が長くなってしまうのですが、行きは会社の最寄り駅から一つ前で降りて歩くようにし、帰りも家の最寄り駅から一つ前で降りて歩くことにしました。
今年は年始早々肺炎に罹かり40度以上の高熱に3ヶ日間うなされ続け、結局ほぼ元通りの健康体に戻るまでに約3ヶ月を要してしまいました。おまけに妻は4月に、そして私は8月にそれぞれコロナに罹ってしまい、病気に祟られた年となってしまっています。それでも会社では私が不在でも全く問題なく仕事は回っており、家でも夫婦二人が同時に倒れることは幸いにしてなかったため、家庭としては人様に迷惑を掛けず(?)切り抜けられたことは本当に何よりでした。
そんな中、私の苦手な健康診断の季節がやってまいりました。折角会社が従業員の健康を気遣って用意してくれているプログラムであるのに何が憂鬱かというと、ずばり、検便です。便器のあの不安定な水の上にシートを置いて、その状態で水が浸入してこないうちに素早く用を足し、適度な量を棒に擦りつける、何て手際のよい高度な技術なのでしょう。しかも東京における健康診断では、2日検便というではありませんか。1ヵ月半前に健康診断のお知らせが自宅に届いてこの事実を知ってからと言うもの、いつもそれが頭を過ぎり、特に週末の、普段ならゆっくり趣味に浸ることができる筈の土曜日にこの忌まわしき儀式のイメージが頭をもたげ、何とも始末の悪い思いを味わうのでした。
しかしよくよく考えると、この検便によく似たプロセスがごく身近にあることに思い当たったのです。それは他でもない、もともとは自発的に開始したこのnoteです。書きたいという思いは前にも増してあるものの、いざ机に向かうと肝心の書くべき内容が思いつかず、日曜日の夕方に差し掛かると、宿題を終えていない夏休みの子供のような気持になってしまいます。自分の書きたいという思いとは裏腹にそれを上手く外に出すことができないのです。妻はそんな様子を見て、プロじゃないんだから書けないんだったら書かなきゃ良いだけでしょ、と至極ごもっともなご忠告。でも、こちらとしてはそれでも週に一度は何かを書きたい、そうでないと何かモヤモヤが身体に残ってしまって新しい次の一週間の良いスタートが切れない、と思ってしまう訳なのです。
検便もnoteも本当に困ったものです。