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子供時代を振り返って

田舎の香川県の中でもさらに田舎の町に生まれ育つ。
近くに満濃池という日本最大級のため池があったり、土器川という一級河川もあったりして、よく魚釣りに行った。満濃池の方がブラックバスが釣れて、一度釣り上げたブラックバスを野良猫が食べてしまったことがあり、ルアーの針が刺さらなかったか心配したこともあった。今では満濃池で釣りは禁止されていて残念だ。
盆地というほどではないが四方八方に山が見え、地元の城山という小さな山に登ったことがあったので小学生のとき、遠足の行き先として提案したら実際に採用されて、そこに登山の遠足に行ったこともあった。最初は不満そうだった同級生も頂上まで登ると「楽しいな」と言ってきて嬉しかった。

小学校1年生の時からピアノを習い始めたが、レッスンが嫌いで何年かでやめてしまった。大人になってからちょっとだけピアノを練習しているが、簡単な曲しか弾けない。暇だったんだから子供の時にまじめにレッスンしていればよかった、などとは思わない。本当にうまくなりたいとやる気があるなら、今からでも一生懸命練習すればいいのだから。ただどんなことでも子供のころにやる方が、ずっと能力が開花することはよく聞くし、何となく気づいてもいる。
小学校2年生の時にファミコンの互換機を内蔵したテレビであるSHARPの「C1」を買ってからはテレビゲームに夢中になった。
ゲームが好きでゲームクリエイターになりたかった子供時代は、プログラミングができたら面白いゲームが作れると思い込んでいた。オリジナルゲームを考えるようになって、やっとそんなに甘くないことに気づく。
よく考えるとそのころから既にゲームクリエイターになることを夢見ていた。19歳の大学生のころ病気にさせられたせいで道を外れて逆に、そのころの夢を実現させることになろうとは・・・。

小中学生の頃はゲームばかりしていたし、高校生の時もドラゴンクエスト5は学年で1番にクリアした。小学校の授業は簡単だったものの、中学生の時は勉強はそんなにできなかったが、そのおかげでパソコンやプログラミングに興味は持てた。高校生のころは勉強やスポーツに視線が向いていてあまりパソコンはしなかったが。
母の誕生日プレゼントとしてサンプルゲームを改造し、クリアしたらハッピーバースデーの曲が再生されるプログラムを作ってプレイしてもらったがあまり喜ばれず、なんで嬉しくないんだろう?とちょっと複雑な気持ちになった。
今の子供たちはゲームエンジンのおかげで3Dゲームまで作っているらしいので、僕が子供のころは幼稚なことをやっていたなあ、と恥ずかしくなる。まあゲームエンジンに頼っているようじゃあまだまだ3DCGの独自レンダラーは書けないだろう、と自己弁護しておこう。

僕はいまだに、ファミコンやスーパーファミコンでプレイしたゲームの影響ばかりなので、今でもゲームのアイデアはセンスが古い(苦笑)。今も最新のゲームばかりプレイしていれば、ゲームのトレンドがわかってもっと面白いゲームが作れたかもしれないのだろうが、なぜか今世紀になったころから大好きだったゲームをプレイする意欲が減ってしまって、プレイステーションもプレステ2までしか買っていない。確かプレステ2は2000年ちょうどに発売されたので、もうすぐ四半世紀前のことになるのか・・・。
最近のトレンドはネットゲームが主流なんだろうとだけは知っている。だけど僕は1人だけでプレイするだけのゲームを作ることがほとんどだ。僕が子供のころでも野球ゲーム「ファミスタ」などは2人で対戦する方がコンピュータと対戦するよりずっと面白かったのは覚えている。ネトゲもたくさんの人が繋がってプレイしたらずっと面白いんだろう。

恥ずかしながら中学生のときまで太っていたが、中学生の終わりごろに痩せて高校デビューした。しかも高校3年生のときは、全国模試の合計点で大手前丸亀高校(田舎の進学校、国際物理オリンピックで日本では6年ぶりに金賞受賞した生徒もいたそうだ)で筆記式もセンター式も学年トップをとり、東京大学でも通用すると言われた。中高一貫校だが高校から編入で入学したが、今では編入がなくなったらしい。多分ほとんどの編入生はそれほど成績がよくなかったからかもしれない。学校側も高い実績をあげたいから仕方のないことだろう。
高校時代はレオマワールドでキャストのバイトもした。楽しいことをして給料が貰えるなんて夢みたいだ、と嬉しかった。まあ給料はぼちぼちだったが。
高校2年生の時はじめてできた彼女を自転車の後ろに乗せたのは夢が実現できて、今となってはいい思い出だ。
現役生の時は社会を1科目しかまともに勉強してなかったので、当時東京大学と京都大学は地歴が2科目必要だったので、センター試験の社会だけについては1科目しかいらなかった大阪大学に進学した。
でも大阪大学でも、OUCCというサークルがあることは知っていた。X68000の専門誌「Oh!X」で連載していたのを読んでいた「DoGA」という3Dプログラミングで有名な団体であり会社の母体となったサークルだ。「君の名は。」で有名な新海誠監督も、「DoGA CGアニメコンテスト」でグランプリをとったことがきっかけで商業アニメ監督デビューした。
OUCCは知っていたが、大学1回生の時にはスポーツ系サークルに入っていて、OUCCに入ったのは5回生になってからなのだが。

 今振り返ってみると高校時代が僕の人生のピークだった。ピークと言ってもそれほど大したことはないが、僕の人生においては1番楽しい時期だった。でもたった3年間のことだったのか・・・。でもつまり3年あれば人生は逆転できるってことだ。早く病気を治して19歳で止まってしまった僕の人生を再開したい。

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