執筆した二次創作を振り返りながら、原作への解釈・解像度の自分なりの定義も今一度考えてみた話。
先月プレイした某ゲームの某CPの二次創作小説を書いた。
小説をちゃんと独立して完成させたのは10年ぶり。しかもガッツリボーイズラブしてるのを書くのは初めて。(ギャルゲの感覚をBLに落とし込むことでこの難題は突破した)
そのゲームは前編と後日公開の後編で分かれており、自分が好きなキャラクターの個別√は後編、かつネタバレ禁止のため配布後に語りも創作も暫くは摂取が困難である。
俺は自分の頭の中に過ぎったある一場面を目に見えるものとして残したくてあの話を執筆した。
インスピレーションは輝きを失わない内に形にしないとすぐに別物に変化する。思考の言語化、発想のメモ。これらを怠ると一瞬先で「今何考えてたんだっけ?」とド忘れしてしまう感覚に近い。
筆をとり始めたとて、完成できるかはわからない。これまでの挫折と苦悩の経験が脳裏を掠めた。
そして今回の場合は特に切り離せない、どうしても拭えない大きな葛藤もいくつかあった。
原作のターゲット層(ジャンル)からすると自分は異端のユーザーであること。いわゆる“よそ者“。
掘り下げが行われていないキャラクターを取り扱うことによるブレや齟齬。
まだ世間に公開されていない物語を二次創作=IFとして描くリスク。
公式から現時点で明かされている情報や関連情報、オマージュ元から練る捏造を基盤に物語を描くことは創作界隈においてどの程度グレーなのか。
正直、執筆中の約1週間、毎晩夜更かしして練りながらも、ネットにUPするかどうか最後まで迷った。
不安だったし、怖かったのだと思う。怒られるかもしれないな、と。
それでも描くと決断したからには全力を出したかったし、練れるだけ練って自分が納得出来るうつくしい物語にしようと決めた。原作の台詞を横で流しながら、要素要素を拾って繋ぎ合わせたり、想像したり、着想から疑問が生じたネタを積極的に調べたりもした。
この不届者に残された、原作への敬意を示す唯一の手段なのだと己を鼓舞しながら。
キャラクターを自分なりに咀嚼し、捏造を交えて物語を作る上で、どの要素を強調させるか、抑えるか。これらは人から見たら「解釈の不一致」あるいは「キャラ崩壊」に映りはしないか。今自分が走らせる指から産まれている人物たちは、原作から飛び出した「もしも」の姿にちゃんと見えているだろうか?
二次創作をする方々、特に物語性を重視する方にとって、シナリオを描くために強いられるキャラクターの構成要素の「描写の強弱」――分かりやすくも残酷な表現を用いる――「取捨選択」は、一生付きまとう問題だと思われる。自分も久しぶりにこの苦しみを味わった。
(作品を完成させPixivに上げた後、ありがたいことにXやブルースカイで沢山の方から感想やファンアートをいただきました。人生で初めてのことだったので滅茶苦茶照れながらも、無事に書き上げることが出来てよかったと思えました。)
UPしてから1週間後、やはり自分の中で今一度向き合い、言語化して残しておく必要性を感じたものを無視できなかった。
それは原作やキャラクターに対する「解釈」、「解像度」についての自分の見解、定義の再認識だ。
創作は滅多にやらないし、次があるという保証はない。
けれどどうしても胸中に去来し、離れなかった。
恐らくキャラクターの読解において、自分が他のユーザーと比べて全く別の側面を重視している事実に対する不安から逃げきれなかったからなのだろう。
気にしすぎだと思う。難しく考えすぎだ。もっと気楽に楽しめば良い。
けれどやはり自己理解のために呟いた当時のポストを、この記事に備忘録として残しておこうと思う。
翌日タイッツー
要約する気は全くない。
解釈・解像度についてはスクショで話したことがすべてです。
色々思考を巡らせたが、根底にある「間違えたとしても、キャラクターやシナリオを理解しようとするための努力を惜しみたくない」という執念の背景には、「過去に公式(の後継スタッフによる原作レ●プや、ライターの嫁キャラ贔屓による暴走)から植え付けられたトラウマ」が存在する。
物語を動かす以上、損な役割をするキャラクターが出てくるのは避けられない。
目を覆いたくなるようなキャラ崩壊をさせたり、設定を焚書にするのも勿論嫌なことですが、何よりもキャラそのものを蔑ろにしてほしくない。愛情や関心、興味がないのだと感じ取りたくない。
今までの苦い記憶を引き摺ったまま生きているからこそ、俺はキャラクター個人に真摯に向き合おうとする誠実さを持ち続けたまま、創作や考察、語りをし続けたい。何気ない仕草や台詞、そこから連想される心情といった細部すらも見落としたくない。それもキャラの理解に必要な要素だから。
当時は憔悴したほどのトラウマ達ですが、今の自分の二次元への姿勢に強く影響を及ぼしています。
今回書いた二次創作で、俺はあるキャラクターの特徴的な暴力性・嗜虐性の表現を抑えて、別側面である子供らしさ・聡明さ・掴みどころの無さ、少しだけ垣間見える弱さを強調して描いた。何なら原作では今のところ描かれていないが、一種の包容力を付け足した。
原作前編や公開済みの絵、制作者の呟きなどでは前者がメインで後者がサブのように思えたが、あえて逆にし、前者を重要な局面でのみ発露させた。
加えて大学に主席入学した優秀な学者の卵であること、名前の元ネタ『孤島の鬼』からキャラクター性の捏造もより一層深めた。
喋り方もあえて砕けすぎず、原作で対照的だった別のキャラクターを想起させるような言い回しをさせたりもした。
展開もそうだ。初回固定ルートの対とするのを舵取りにおける第一の目標にし、絶対に原作ではあり得ないだろうと考えたもの(=原作であり得そうだと予想している展開の真逆)にした上で、ギリ原作でもあり得そうかもしれない?なスレスレの物語を目指して書いた。
そう。俺は後編を待ちきれずに、自分の頭に浮かんだイメージや着想から「捏造を基に作られた、言い訳など出来ない言葉通りの“二次創作“」をこの世に生み出した。
原作からの乖離は激しいだろうと思われる。本当に大丈夫だろうか、とんでもないことをしてしまったのではないかと怯えていた。
生きた心地がしない中、「解像度が高い」「後編をひと足先に遊んだ気分だ」といった感想も頂戴した。不安が少し軽くなった。救われた。
結果的に。自分はこの物語を描いた自分自身をどう思っているのか。
正直感心した。よくやり遂げたと。投げ出さず、納得のいく物語をちゃんと練れたなと。
誰に愛されなかったとしても自分が愛せればいいと考えながら綴った。
けれど温かい声をたくさんかけていただいたし、新たなご縁も出来た。
10年間、小説を完成まで描き切ることすら出来なかったからこそ、描きたいと想像したままの綺麗な形に昇華できて本当によかったと、自分勝手だけれどもそう思っている。
幸せ者だと思う。次に何かを創作するのが怖いくらいだ。
だから自信がないとしても、不安だらけでも、生み出した物語が実際には原作とかけ離れた矛盾だらけのものだとしても、解像度の低い不明瞭なものだったとしても。
解釈や価値観の異なる他者から否定される物語だったとしても。
俺はこの二次創作の生みの親としての責任を背負い続けたいと願っている。