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ショートショート 38 二つの試合

いただいたお題「試合(スポーツ)」で書きました。

 白い円の中で二人の男の子が睨み合っている。しかしそれはすぐに間に立つ男性が持っているボールに移動する。男のボールを持つ手が一瞬下がり、上がる。その瞬間に円の外にいる八人の男の子たちが動き始める。自分のゴール側に走る人、相手のゴール側に走る人、円の近くで弾かれるだろうボールを待つ人。彼らの視線もまたボールにある。
 円の中の男の子二人がジャンプする。
 ファーストボールに触れたのは相手チームの男の子だった。
 瞬間、横から勝ち誇ったような視線を感じる。絶対に見返してやるもんですか。これから見返すのはうちの息子よ! と内心思いながら、
「ほら! 下がって!」と声をかける。私が言う前から男の子たちはみんな動いていた。敵チームも相手チームも、片側のコートの中に移動する。
 私の息子も、着地してすぐにそれに追いつく。なんとかうまく相手のパスをカットし、自分のボールにした。そのファインプレーに私は誇らしくなるが、チームの誰も急なファインプレーに対応できず、すぐに囲まれてしまう。
「調子に乗るからいけないのよ」隣にいる敵チームの親御さんがそう呟いた気がした。私は言い返してやりたい気持ちをぐっと抑え、囲まれて身動きがとれなくなっている我が息子を見つめる。ボールだけは死守するとばかりにピボットを踏み、ボールを持つ両腕をあげて、敵チームから距離をとる。
 その後ろから、敵チームの男の子がやってくるのが見えた。
 うしろ! と言いたくなるのを抑える。コート内にいる息子と同じチームの子が言うならまだしも、観覧席にいる保護者の私が口にしてしまうのはルール違反だ。なんとか目力で伝えようとしても、目が合うわけはもちろんない。
 しかしボールが相手チームに取られることはなかった。我が息子は敵チームに囲まれながらも華麗なロングパスを決め、それがチームの得点にもつながった。この試合初の得点が自分のチームだったことにコート内にいる我が息子も、ベンチにいる息子のチームメイトも、保護者も歓声をあげる。
 私はそこでようやく、自分の隣にいる女性を見た。
 私の夫に色目を使う、憎い、本当に憎い女。
 まだ証拠がたくさんあるわけじゃない。でも見つめ返してくる。彼女の敵意に満ちた目がまさに証拠だと物語っていた。それは得点になるきっかけを作った私の息子に対してではなく、私自身に向けられているものだ。
 あなたなんて敵じゃないですけど、という意味をふんだんにこめて視線をコートに戻す。ボールは相手チーム、憎き女の息子がいるチームが持っていた。息子はゴールの近くでパスをもらおうとしている子の前に立ち塞がってディフェンスをしている。オフェンス側がゴール下に特定の秒数いると反則になる。それを知っている相手チームの男の子はゴールから離れたり近づいたりを繰り返す。速度に緩急をつけて振り払おうとしているが、我が息子はくらいついている。
 ボールを同じ人が持ち続けているとこれも反則になる。だからか、ボールを持った男の子は、我が息子がブロックしている男にボールをパスするのを諦め、憎き女の息子に投げた。それは綺麗に憎き女の息子にわたり、彼はもらった流れのまま、3ポイントシュートを決めてみせた。
 歓声があがる。それも我が息子のいるチームが決めたより大きな声の。いや、そう思ったのは勘違いだ。私の隣にいる憎き女の嬌声が大きすぎて、下品で、目立つからそう聞こえただけにすぎない。
 試合はそのまま一点差で進む。まさにランガン勝負と化した。片時も目を離せない。コートから目を逸らした瞬間に勝敗が決まってしまう決定的なことが起きそうなそんな緊迫の中、私は目を一瞬、憎き女にうつしてしまう。
 しかし、そこに彼女はいなかった。急いで周りを探すが、コートの中はもちろん、向かいの観客席にも見当たらない。私があの憎い憎い女を見落とすわけがないから、ここにはいないということだろう。
 しかし今この会場から抜け出すわけにはいかない。漠然とした不安が、息子のチームの勝利に対してか旦那の不貞の疑いによるものなのかわからないまま、私は両手を顔の前で組んで、眼前で繰り広げられているゲームの息子のチームの勝利を祈った。
 我が息子にボールが渡る。残り時間は十秒を切った。息子は3ポイントラインよりさらにゴールから離れたところでシュートの姿勢をとった。相手チームは焦ってそれをブロックしようと飛び上がる。
 我が息子はそれを嘲笑うかのように、フェイントをかけ、ドリブルをしてそのままレイアップを決める。
 ホイッスルが、鳴った。
 私は歓声をあげる。まるで私に合わせてそうしているかのように我が息子も我が息子のチームメイトも、観客席の一部も大声で勝利を喜んだ。
 観客席前に整列し、頭を下げる我が息子とそのチームメイト。目が合うと我が息子は照れたように笑い、小さくピースサインを向けた。私も同じように返す。誇らしい、本当に誇らしい息子。
 試合終了後、片付けなどでまだ時間がかかるというので会場の外で息子を待つ。空が夕暮れがかっていて、まるで息子の勝利を祝ってくれているように思えた。
 けたたましい車のエンジン音がする。私は思わず、音をした方を見た。大きな音だったからじゃない。その車の音に聞き覚えがあったからだ。夫が、エンジン音がいいんだと言って手放さない車。その運転席には、物がいっぱい乗る車に買い換えようと言っても、いつもはぐらかす夫がいた。
 迎えにきてくれたんだと近づいた瞬間、助手席に座っていた人と目が合う。
 いや、実際は合ってないのかもしれない。それがわからないほど速いスピードで、夫とあの憎き女を乗せた車は走り去っていった。
 目よりも、勝ち誇ったようなあの口元が頭にこびりついて離れない。
 どうやら、私は負けてしまったようだった。

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