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ショートショート 30 TRUE CONVENIENCE

 これは、ぼくが中学生の頃のお語です。
 ぼくはいじめを受けていました。と言っても、そんなにつらいというほどの印象はありませんでした。つまるところ学校に行きたくないと思うほどではなかったのです。きっかけはなんだったでしょうか。ぼくが勉強ができるのが気に食わないとか、好きな子に告白したけれど振られたのがウワサになったとか、勉強のわりに運動ができなくて、マラソン大会で太っているクラスメイトとビリ争いをしたことか。
 そのどれもが複合的にからまりあって、いじめ、というかいじりに発展したんだと思います。
 ぼくは正直、めんどうでした。早く家に帰って勉強したかったですし、共働きの両親に代わって、弟や妹の面倒を見たり、家事をやったりしなくてはいけなかったですから。あぁ、自分の家が貧乏だったのも、いじめの理由になりえたのでしょうね。
 とにかく、その日もぼくは買い出しをしにコンビニに行ったのでした。普段でしたら、スーパーや薬局で買う方がお得なのですが、そこにぼくが行くことを知ったクラスメイトになにをされるかわかりません。ですので、いつもは行かないコンビニに向かったのです。
 しかしアテが外れました。そこまでぼくのことを気にしていなかったのでしょうか、それともぼくが今日に限ってコンビニで買い物をすることがバレていたのでしょうか。
 コンビニの前には、ぼくをいじめるクラスメイトが3人ほど、たむろしていました。店の前に置かれた飲み物などのゴミ箱のさらに前に、ペチャクチャ話していました。ぼくはバレる前に逃げたかったのですが、中でも一番の面倒なやつ、仮にヤマザキだとしましょう。彼に見つかりました。彼は、ぼくを見つけると、口角を吊り上げ、いわゆる嫌な笑みを浮かべながら、ぼくのもとへ寄ってきました。なんとか踵を返し、帰路につこうとしたぼくでしたが、回り込まれてしまったからにはどうすることもできません。
「お前さ。貧乏なんだろ。だったらさ、万引きしてこいよ」
 意味が分かりませんでした。その二つの因果関係はなりたちません。なりたたせてはいけません。しかしヤマザキたちは名案だと言わんばかりに騒ぎ立てました。今から犯行に及ぼうとする場所の前で計画を話す馬鹿がどこにいるのでしょうか。ぼくはやるとも言っていないのに、ヤマザキたちは計画を話し始めました。
 要約すると、レジにはぼーっとしているおじさんしかいないから、奥の方にあるパンを盗んでこいとのことでした。要約した、ということでお察しだと思いますが、不本意ながら万引きをさせられることになったのです。しかも手柄、と言ってもパンですが、それをぼくをのぞいた全員で山分けすると言っています。いよいよ貧乏だからという理由すら崩れました。
 今思えば、どうしてそんなバカげたことに従ったのでしょう。従うふりをして、店員さんに助けを求めればよかったのかもしれません。
 ぼくはつかまり、奥の部屋に連れていかれました。その際にちらりと外を見たら、ヤマザキたちは笑いながら逃げているではありませんか。逃げる姿は滑稽で、面白かったですが、その笑顔には腹が立ちました。
「なに笑ってるの? 君は犯罪をしたんだよ」
 部屋に入っての第一声がそれでした。ぼくは素直に謝りました。いじめられているとはいえ、プライドでしょうか。おどされてやったということは言えませんでした。かわりに誠心誠意、謝りました。何度も頭を下げるのではなく、ゆっくりと丁寧に、ただ一度だけ頭を下げ、一音一音をしっかり発音して謝りました。
 腕を組む音と、パイプイスがきしむ音。それらが意識的に聞こえるということは静寂がばがれたということにほかならず。、また、それがどれくらいだったのかはわかりません。顔をあげると、おっさんは女の子に代わっていました。
「普通だったら、警察につきだして終わりなんだけど、君には何か事情がありそうだね……」
 ぼくは耳が、目が、頭がおかしくなってしまったのかと思いました。自分はそれほどまでにいじめを苦痛に思っていたのかと。おっさんを女の子に、それも結構カワイイ子に見えるほど、癒しを求めているというのでしょうか。
 きっとそのときのぼくの焦りようは、万引きをしてつかまった中学生のソレに見えたのでしょう。
「警察につきださないと言われて、焦るということは親がらみか?」
「いえ、違います」
 不思議とすっと言葉が出てきました。それは、ぼくがはっきりと物を言う性格だからでしょう。違うことは違うと言わなけれは、長い間勘違いをされ、自分が望んでいない方向に物事が進むことが多々あります。それを防ぐためには、違うことは違うというべきだというのが、中学生ながら刷り込まれていたのでしょう。それでもいじめられているわけですから、最高の作戦ではなかったわけですが。
「ほう。ともすれば。王道で行くと、いじめられて、罰ゲームといった感じかな」
 二個めで当てられるとは思っていなかったですが、ぼくは素直にうなずく他ありませんでした。中学生のプライドなんてそんなものです。打ち砕かれた後のプライドのあとは、それを受け止め、いやしてほしいという願望がやってきます。ぼくも例外なく、つらかったねとか、大変だねとか、そういった言葉を自然に望んでいました。
 しかし、返ってきたのは、まったく予想だにしていないことでした。
「君は便利とは何だと思う?」
「え……便利、ですか。うぅんとなんでもあること、ですかね」
「頭の回転が速いね。こんな変なことを聞かれてすぐ答えられるなんて、素質があるよ」
 なんの素質だというのでしょうか。もしかして万引きの? もしそうだとしたら心外です。でも確かに理にはかなっています。なにもないから、なんでもあることを求める。それは、ヤマザキの貧乏だから万引きという理論よりは幾分か飲み込みやすかったです。
「私はね、その逆で何にもないことだと思うんだよ」
「は、はぁ」
 前言撤回です。意味が分かりません。もちろんヤマザキなんかとは違って、この人なりの哲学みたいなものを感じさせる発言ではありますが、その意味は全く分かりませんでした。しかも、
「いや、正しくはなにもなくても豊かである、ということかな。……というわけで君にはここでアルバイトをしてもらいます」
 もしかしたらこの人はヤマザキと同じような、いえ、それ以上にやばい人かもしれない。
 そう思ったのもつかの間、ぼくは制服に着替えさせられ、カウンターの中にいました。
「うん、似合う、似合う。これだったら私の対象になるかもね」
「対象ってなんの対象ですか」
 まさか男として見てもらえている? などど一瞬考えて浮足立ってしまう自分がいました。それほどまでにこの女性店員は美人でした。笑うとカワイイ、黙っていると美人、とでも言うのでしょうか。
「店員の対象。今、ここのコンビニ人が足りてないからね」
 大変なんだよーと伸びをする女性店員さん。服が引っ張られて、胸が強調され、思わずそちらに目が行ってしまう。胸には佐竹、とネームプレートがついていた。
「そもそも、ぼく中学生ですけどアルバイトしていいんですか?」
「ダメだね」
 間髪を入れる余地などない即答に思わず、えぇと声が出る。
「だから君は、対象、なんだよ。まぁ、職場体験だと思ってやってみてよ」
「ぼくは、家に帰って家事をしなくちゃいけなくてですね」
「別に警察につきだしてもいいんだよー? そうしたらもっと帰るのが遅くなっちゃうけどねー」
 そう言われてしまうとずるいです。ぼくは持前の真面目さをフル回転して、佐竹さんが口頭で説明する仕事内容を覚えました。
 接客は思いのほか、発見がありました。余裕のある人、ない人が一目でわかります。店員を人間だと思っていないような扱いも受けました。その多くはお酒やたばこを買っている人で、やっぱりそういうのはよくないんだなと、ヤマザキの姿を思い浮かべながら思ったものです。
 初日は、レジのカウンターだけで終わりました。それも3時間程度、ご飯にするには遅いくらいの時間でしたが、逆にそのおかげでいじめてくるクラスメイトに会わずに済みました。
 佐竹さんは、
「明日もよろしくね」
 とさも当然のように言いましたが、ぼくは学校なんていかずにこのままバイトしていた方がいいなと、軽い気持ちで思っていました。

 学校を、妹や弟の病院以外で休んだのははじめてのことでした。ぼくはいつもどおり早くに目を覚まし、まだ寝ている弟と妹、両親を起こさないようにそっと台所に行き、朝食を作り、制服に着替え、起きてきた両親に行ってきますと声をかけて外に出ました。そこまではいつものことでしたが、驚くことに、足はあのコンビニに向かっていました。店前を放棄で履いている佐竹さんは、ぼくを見つけると、手を振ってくれます。徐々に近づいてくるぼくにどこか驚いた表情の佐竹さんは、
「どうしたの? 学校行かなくていいの?」とたずねます。
「いいんです」
 即答でした。ぼくは学校にいくつもりであったにもかかわらず、そう言っていました。まるで誰かに言わされているようでもありましたが、不思議とそれでもいいかなとすら思えてきて、やはり不思議です。
「学生服だけ脱いで、カッターシャツの上からこれ着ればいいから。あっ脱いだやつはロッカーに入れておいてね」
 着替えてカウンターに立ちます。昨日の失敗を踏まえて、タバコの銘柄と番号をひたすら覚えるということをお客様対応をしていなかった時間に費やしました。おかげで、その間違いはゼロになりましたが、それ以外のミスは多くしてしまい、お客様に怒られてしまいます。
「どうして、あんなに親のかたきみたいに怒るんですかね」
「その瞬間は、親のかたきにされているからだよ」
「そんなもんですかね」
「おや、不服かね? ではこれをあげよう」
 佐竹さんはぼくにボタンをくれました。それも、カウンターの下にある通報用ボタンと同じような大きさのもの。何気なくそれを押すと、イートインコーナーがまるで忍者屋敷の壁みたいにぐるっと回りました。
「えっ!」
 さきほどまで誰もいなかった場所に20人以上の人がいました。それはスーツ姿を着た人や主婦、学生もいました。驚いたのは、もとは木の床で、誰でも出入りが出来そうな入りやすいスペースだったのが、鉄格子に阻まれ、入ることも出ることもできない。まさに牢屋の見た目をしていたことです。だれもが牢屋の中で、さきほどの回転によるものでしょうか、一か所に固まってもみくちゃになっています。
 スーツ姿の男性と目があいました。
「俺は、役員だぞ! 俺がいないと会社が回らないんだ!」
 ぼくに向かって言っているようでした。そうは言われましてもぼくはまだ状況が飲み込めていません。そんなぼくをよそに中にいる人たちはしゃべります。
「私だって、このあとタイムセールがあるのよ! 家事もしなくちゃいけないのに! ってちょっと触らないで! この人チカンです。きゃーっ!」
「ぼくだって今日は大事なテストがあるんです。ここから出してください!」
 その懇願するような目つきには、分かりやすい怒りが見て取れました。その中にいる誰もが自分のことしか考えていません。
「真の便利はね。なにもなくても豊であることなんだよ」佐竹さんはそう言うと、ぼくに手渡したものとは少しだけ色の違うボタンでした。それを見た中の人たちは、震えあがります。
「君だったら、弱そうだから。なんとかいえば出してくれるかもしれない。無意識にそう思って、君にいろいろな汚い言葉をなげかけたこの人たちは、真の便利に必要ないと思わないかい?」
「え、え、え?」
 ボタンを押す音がやけに鮮明に聞こえました。中には電流が流れ、人だったものが、どんどん焦げていき、形を失い、チリになっていく。それが、まるで自然なことのように行われます。
「あーあ。少しこぼれちゃった。これ掃除大変なのに」
 そう言うと、その焦げたチリを拾い上げ、それが山盛りになっている牢屋に投げ入れました。そうしてボタンをもう一度押すと、また忍者屋敷のようにくるんと周り、元のイートインスペースに戻ります。
「ごめんけど、あの箱、掃除しておいてもらえる? バックヤードにホウキとかあるし、一度ボタンを押して、中に入ってもらえればいいから」
「はい」と言いつつ、動きだせないぼくに佐竹さんは続けます。
「大丈夫だよ。君はあんなふうにはならないから。言ったでしょ? 君はこのコンビニの『店員』として、対象になるって」
 ぼくが何かを言おうとした前に、佐竹さんは奥に戻っていった。カウンター業務をしようにもお客さんがいないのでは意味がない。ほかにするべきことはもう済ませてしまった。ぼくはおそるおそるボタンを押しました。ぼくがおそるおそる押したのなんか関係なく、さきほどと同じ速度で回転し、姿をあらわにした檻とてんこもりの隅。ぼくはそれから目をそらすようにバックヤードに行き、ホウキとゴミ袋を持ってきました。
 これが人間なのだ。もし何も知らないままそう言われていたら、信じないと思います。だって人の形も匂いもしないのですから。もしくはその人なりの哲学なのかなとか、見当違いなことを考えて、さっさと仕事をすませます。ぼくが知っているのにも関わらず、仕事を見事遂行したのは、やはり人の形も匂いもしなかったからです。ぼくはこのとききっとマヒしていたんだと思います。なにかの見間違いだとすら思っていました。
 だから、休憩をもらうためにバックヤードに行き、パソコンを叩いている佐竹さんに、
「ああいう人って生きる価値ないよねぇ」と言われても「なんの話ですか?」と返してしまいました。
「さっきの電流で人を殺したやつ」
 その言い方は、虫を殺虫剤で殺すことと、人を殺すことが同じということをありありと示していました。
「ちゃんと戻しておいてくれた?」そう聞かれて、はっとなったぼくは謝ってからボタンを押します。距離がありましたが、ごぅんという音が鳴ったので、動いたのだと分かりました。
「気をつけてね」
「はい。見つかると、まずいですものね」
「え? いやいや別に見つかってもいいけどさ。ていうかもう何人かには見られているし」
「え? それで何の問題もなかったんですか」
「うん」
「え?」
「うん」
 そういう佐竹さんの目は真剣そのもので、ぼくはそのとき女性の目をまじまじ見るのなんて初めて、告白のときを除いては初めてでしたから、どぎまぎしてしまいました。話の内容はぶっとんでいるのに、佐竹さんの表情からはやはり殺人の様相が感じられないのでした。
 佐竹さんはぼくに代わってレジに入ります。ぼくはその間、休憩し、またカウンターに戻ります。まるで時間だから揚げ物やっておいてと言うみたいに、
「腹立つやつがいたら、ボタン押してくれれば、あの箱に入れてあげるから」と、赤いボタンを渡してバックヤードに戻る佐竹さん。彼女は鼻歌を歌っていましたが、それが何の曲かはわかりませんでした。

 三日目になると、ヤマザキがやってきました。一人でした。一人でも、まるで周りに数人いて、そいつら全員に聞かせるのかと思うくらいの声量で、ぼくにからんできました。ぼくがパンの品出しと、賞味期限切れの商品の回収をしている最中のことでした。
「え、何? なんでお前ここで働いてんの」
 彼はぼくが答えを発する前からウケる、と連発しています。今なら何を言っても笑ってもらえそうだなと思いましたが、あいにく仕事中でしたし、仕事を理由にして逃げたいほどには、いまだに会いたくない人間です。
 ここで働いている以上はいつかは来るだろうと思っていました。ですから、常にボタンはポケットに忍ばせております。もちろん交代のときには佐竹さんに返しはしますが、それ以外は例えば品出しでかがむときでも、重いものを持つときでも、こっそり腰をタバコが陳列されている棚に預けているときも、常に腰につけておりました。赤いボタンは目立ちはしますが、別に店員がボタンを持っているという状況が特異ではないため、ほとんど関心を持ち続けられることはありません。しいて言うなら、まったく思いもしないところで間違えて押してしまい、作動してしまうのではないかということです。今のところはありませんが、これからは分かりません。あまりヤマザキがしつこいようでしたら、こけるふりをして、押してやろうと心に決めておりました、
 しかしヤマザキは言いました。
「ごめんな」
「え?」
「いや、最近学校に来なくなっただろ? あれで、俺のせいじゃないかって言われてなセンコーに呼び出されるし、ビビった仲間は俺と距離を置き始めるしでよ。正直堪えたわ」
「そうなんだ。それは災難だったね」
 驚きました。ヤマザキが謝ったのです。ヤマザキの謝り方的にぼくが学校に行き、無実が証明されるとまた元に戻るんだろうな、とは思いましたが、それでも謝るという行為をしたことは、ぼくの腰元に伸びた手を戸惑わせるには十分でした。
 ぼくは人を殺そうとしたのです。こいつなら死んでもいいと。誰も悲しまないと。社会のためだと、そう思ってしまった自分が恥ずかしくなりました。
「ごめん」
「なんでお前も謝んだよ……そういえばお前に話があってきたんだよ。……おっせぇなぁ、クミコのやつ」
 驚きました。クミコ、その名前はまさにぼくが先日告白し、大玉砕したあの子の名前ではありませんか。もちろん難しい名前ではありませんから、別の子の可能性もあります。そうであってくれと願いました。
 しかしその願いむなしく、手を振って近づいてくるのは、まごうことなきぼくが先日告白したでおなじみ、クミコちゃんではありませんか。
 ぼくは、二人が触れ合う前にボタンを押してやろうと思いました。
 しかし、クミコちゃんはぼくがとなりにいることに気づいたにも関わらず、笑顔を向けます。恥ずかしそうな笑顔ではにかんでいるではありませんか。
 これはもしかして、自分の告白をやっぱりOKするということなのでは、そう思ったのもつかの間、クミコちゃんはヤマザキの腕に抱き着いて、こういいました。ダーリン。
 ぼくのその瞬間の絶望はすごかったと思います。いつの間にか腰から外し、手に持っていたボタンは、ぼくの力の抜けた手からこぼれおち、カランカランと二人のもとへ落ちていきました。
「あっ」
「おっ、なんだこれ」
「なんなんだろうね、ダーリン」
「返して」
「なんだよ、ただ拾ってやっただけなのによ。その言い方は。決めた、俺返さねぇから」
「えーダーリン。いじめちゃかわいそうだよー。で・も、そういうところもかっこいー」
 ぼくがいくら取り返そうとしても、ヤマザキは軽やかに躱します。腕にクミコちゃんをつけたまま、まるで腕に巻きつけるタイプの動物風船みたいに軽やかにぼくをかわします。一度、クミコちゃんとぼくはぶつかりました。
「あっ、ごめ」
「痛いわね! こんちくしょぉが!」
 ぼくは頬を思いきりひっぱたかれました。脳が揺れる中、考えたのは、ぼくの脳にダメージを与えられる正確な位置にビンタをできる、その慧眼についてです。すごいです。ぼくのこころはその時点でぽっきりと折れてしまいました。
「もう終わりかよ。つまんねぇの」
 てか、女に負けて悔しくねぇのかよ。ギャハハハハハ。脳が正常に戻ってきた。
 視界を戻した瞬間、ボタンは、押されました。
 ウに点々をいくつもつけたような重低音な警告音、まるで地下から秘密のロボットが登場するかのような地響き、その揺れの中でも、一歩ずつ確かに近づいてくる人影。
 ヤマザキとクミコちゃんがその存在に気づいたのと、ぼくがその人の名前を呼ぶのは同じでした。
「佐竹さん!」
「ボタン、押したよね」
「え?」
「ボタン、押したよね。……こいつ?」
 ぼくは、押した相手が誰かを聞いたのだと思いました。本当は自分だったとしても、その罪をなすりつけたくなるほどの迫力、しりもちをつきたくても、逆に揺れのせいでこけることができません。その揺れの中、ゆっくりとぼくを通り過ぎていった佐竹さんは続けました。
「どっち?」
「あ、えっとヤマザキ……くんのほうです」
 わざわざ君づけしたのは家族に友達を紹介するときのような気恥ずかしさが多少なりともあったからでした。
 佐竹さんはうなずくと、ヤマザキくんにとびかかりました。その瞬間、クミコちゃんは自分が襲われると思ったのか、腕を離して顔を隠したせいで、二人は離れ離れに。佐竹さんは彼を悠々と持ち上げ、さっさと檻の中に投げ入れてしまいました。
「ダーリン! ちょっとなにすんのよ!」
「ダーリンってことは、君も仲間?」
「あっ……いえ」
 檻の中にヤマザキくんが入ったところで揺れは収まっていました。
 クミコちゃんが走って逃げていきます。ぼくは追いかけませんでした。まだバイトの途中でしたし、どうせ行ってもぼくの恋が実ることはないからです。
「はい。これ」
 ぼくが檻の前まで来ると、佐竹さんはボタンを渡しました。
「もう一度押したら、あいつ死ぬから」
 それじゃ、とあくびをしながらカウンターに入る佐竹さん。ぼくは休憩中に申し訳ないなと思いました。
「おい、どういうつもりだよ。おまえわかってんだろうな」
 さて、ヤマザキくんですが、まだ余裕なようです。一度檻を蹴飛ばします。しかし反応はあまりよろしくありません。
「何? おまえ怒ってんの? お前が好きなやつと俺が付き合ってるから? 残念でした。お前がこくる前から、俺とあいつは付き合ってんのー。まぁ、お前が好きな女って言うやつだから奪っただけで、実際は全然タイプじゃないんだけどな。まぁ楽しむ分にはいいかなって感じ?」
 この時点でボタンを押してしまってもよかったのですが、ぼくは我慢しました。
「これからお前は死ぬ。最後に言いたいことはあるか?」
「ねぇよ。ばぁか、死ね」
「お前がな」
 ぼくがボタンを押すと、電流が流れました。まだ充電中だったのか、少し時間がかかりましたが、ジリジリという音におびえるヤマザキくんの顔は嗜好でした。なるほど、彼が人をいたぶる理由が少し分かった気がします。
「お疲れ様。こないだ掃除代わりにやってくれてたし、今回は私がやっとくよ。もうあがっていいし」
「ありがとうございます」
 バックヤードのドアを閉める直前に聞こえたのは、あっ、ダスターだけバケツにつけといて、でした。

 翌日、行ってみるとコンビニはもうなくなっていました。いえ、コンビニはありましたが、あのコンビニではありません。おじさんが一人でやっているような、簡単に万引きができそうなコンビニです。ぼくはもちろん万引きなんてしません。ちゃんと朝ご飯と飲み物を買って、食べながら学校に向かいました。
 驚いたことに、ヤマザキくんはいました。両足を自分のではない机の上にのせて、自分のではない席に座る、騒がしい、いつものヤマザキくんです。
 あぁ、あれは夢だったのか。ぼくがため息をつきながら、席に着くとヤマザキくんが勢いよく立ち上がりました。そうして自分の席に戻ると今度は両手を膝の上に置いて背筋を伸ばしているではありませんか。
 驚きました。
 しかしもっと驚いたのはその数分後です。
「ダ・ア・リ・ン!」
 背中に当たる胸の感触をかみしめるより早く、心臓の鼓動をこれでもかと感じました。自分のほうです。
「クミコ、さん」
「えーなんで他人ぎょーぎー? いつもみたいに呼んでよ、ほら、クーミーコー?」
「ちゃん」
「そー正解。えへへへ」
 ぼくの前に踊りながら躍り出たクミコちゃんは両手を後ろにして、右へ左へ体を揺らしています。何かを隠していると気づいて、ぼくが身構えたと同時に、彼女は両手を前に出しました。
 驚きました。差し出されたのは凶器などではなく、包装された箱でした。
 と思ったら違いました。包装されているデザインの箱で、やぶらずとも簡単に開けることができるものでした。
「開けてみて」
 中身は、指輪でした。もちろんそんなに高いものではないのでしょうが、青色の布の中に半分だけ埋まっている指輪は二つあります。その一つをクミコちゃんは自分の指にはめます。
「ダーリンもはやくぅ」
 ぼくもそうすると、クミコちゃんは指輪をはめたほうの手をぼくの、こちらも指輪をはめたほうの手に並べます。
「えへへ。おそろだよ」
「これは?」
 ぼくはまだ信用していませんでした。急にこの指輪が爆発してもおかしくないと思っていたのです。
「一か月記念、だよ! えへへ」
 この日から、何度コンビニに行っても佐竹さんの姿を見ることも、あの檻を見かけることもありませんでした。試しに嫌な態度を取ってみても、おじさんが困った顔をするだけでしたし、イートインコーナーをべたべた触っても、つなぎ目は見つかりませんでした。
「お前、セブンスターって言っただろうが!」
「いえ、お客様は確かに、マルボロ、とおっしゃいましたよ」
「何の証拠があっていってんだこらぁ」
「でしたら、監視カメラをご覧になられますか? 店長に代わってもいいですよ」
「いや、それはいい。店長さんもお忙しいだろうからね」
「は、はぁ」
 ぼくはクミコちゃんとは3ヶ月も持ちませんでした。
 今日もまた、佐竹さんに会いたいがために、店員に理不尽な態度を取り続けています。

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