500マイル
旅立ちとか別れとか、少し切ない3月。
以前挙げた記事↓↓に少しだけ続きを。
福岡から東京まで、直線距離で約870km。
飛行機だと1時間半ぐらい。
「だいたい500マイル」と、いつだったかクミちゃんが言った。
マイルなんてよくわからないけど、今日、クミちゃんは500マイル先の東京に行く。
東京の大学に進学が決まってから、クミちゃんは忙しかった。
向こうで住むアパートを探したり、おじさんと家具やら何やらを買い揃えたり、学校にも時々、顔を出していた。
おばさんは、クミちゃんが中学校に上がる頃に亡くなったので、それからはおじさんと親子二人きり。
東京の大学に受かった時、人目も憚らずに号泣していたおじさんは、クミちゃんの進学を機に生まれ故郷の静岡に帰ることを決めたらしい。
せわしなく毎日を過ごしているクミちゃんは、どこか、この街に別れの挨拶をして回っているように見えた。
「見送り、してよね」
こまごまとした買い物に付き合った帰り道、ドラえもんのひみつ道具が一つだけ貰えるなら、何が欲しいかを話してたら、ぶっきらぼうにクミちゃんが言う。
僕はなんだか照れ臭くなって、「ハイハイ喜んで」と冗談めかして答えた。
まだ先だと思ってたけど、ぼんやりのんびりと過ごしてるうちに、あっという間に、案外あっけなく、クミちゃんの旅立ちの日はやって来た。
3月に入ってだいぶ暖かくなったけど、今日は少し曇っていて、なんだか肌寒い。
荷物のほとんどは配送業者が運んだからと、今日のクミちゃんは、これから東京に行くというよりは、近所に買い物に行くぐらいの軽装だった。
来月から僕が住む福岡市は、同じ県内なのに、僕らの住む街とは比べるのもおこがましいぐらいの大都会だ。
この街にある空港から、昼過ぎの飛行機で、クミちゃんは東京に行く。
電車を乗り換えながら博多駅に着くと、空港に行く前に僕らは、少し観光気分でブラブラと街を歩いた。
出来たばかりのキャナルシティ。
それはそれは広くって、僕らはあっという間に、自分がどこにいるのかも分からない、迷子になった。
迷う事がこんなに楽しいなんて、多分、これが初めてだ。
広場の噴水の前で、クミちゃんはクレープを、僕はたこ焼きを。
高く吹き上げる噴水に見とれていると、たこ焼きが2個減っていた。
せっかく博多に来たんだからと、クミちゃんのたっての希望で入った、博多駅近くのラーメン屋。
チャーシューを僕に。
煮卵をクミちゃんに。
お互いの丼に渡しながら、カウンターで二人、博多のラーメンを食べた。
お店を出た後、やっぱり、うまかっちゃんが一番美味しいって、2人で笑いながら確認した。
出来るだけ、覚えておこうと思った。
この時間とか、風景とか、匂いとか。
いつか、ちゃんと思い出せるように。
忘れないでおこうと思った。
空港に向かう地下鉄の中、僕らの口数は減っていく。
「音楽、聴こう」
クミちゃんがCDウォークマンを出して、イヤホンを片耳にはめる。
もう片方を僕に渡してくるから、少し恥ずかしかったけど、耳にはめると、静かな洋楽が流れてくる。
歌詞の意味は分からなかったけれど、穏やかで、どこか切ないメロディのその曲は「500マイル」というのだそうだ。
500マイルという長い距離を歌った、短い曲。
旅立つ空港までの時間は、残酷なくらいに短かった。
初めて来る福岡空港は、なんだか近未来な雰囲気がして圧倒される。
自分がここにいるのは場違いみたいに思えて、何故だか分からないけど、クミちゃんに申し訳なく感じた。
1階のロビーには、色んな人が行き交っている。
ここにいる人達にとったら、東京なんて、多分、大した距離じゃないんだろうな。もしかしたら、隣町に行く程度かもしれない。
いつか、そんな風に感じる大人に、僕は変わっていくんだろうか。
この先、クミちゃんは東京の人になって、僕は、福岡の人になるのかもしれない。
育った街から、離れて。
そんなことを、つい考えてしまう。
搭乗の手続きを終えて、少し先を歩くクミちゃんが、ふいに立ち止まった。
僕の方を振り返ると、大きく一歩、後ろに退がりながら言ってくる。
ーー100マイル。
「えっと……それ、どのくらい?」
ーーん、山口ぐらいかな。
「じゃあ、原チャリで行けるかな」
もう一歩、クミちゃんが退がる。
ーー200マイル。
「えっと、岡山ぐらい?」
ーー原チャリで来れる?
「……多分。頑張ってみるかな」
3歩目。少し遠くなる。
ーー300マイル……大阪とか、かな。
「……行った事ないけど、新喜劇に行きたいから寄ってみる」
ーー方向音痴なのに、大丈夫?
「……日本地図……あ、道路地図のでかいやつ、買う! 細かいやつ」
ーー……絶対、無理だよ。……すぐ方向、間違うくせに……。
「だ、大丈夫! ……オレ、追い込まれると本気出るし!」
ーー……心配だなぁ。
4歩目を退がるクミちゃんの顔を、僕は忘れない。
そんな顔をされたら、僕までそんな顔になるじゃんか。
ーー……400……マイル。
「……もう、そこまで行ったら、500でも1000でも……どこでも行く」
クミちゃんが、その場にしゃがみ込み、顔を伏せる。
近づこうとした僕を手で制して、立ち上がって背を向ける。
500マイル。
そんな距離、よく分からない。
もう少し歳をとれば、多分、なんてことない距離になるんだろう。
それでも僕はこの距離を、途方も無い距離だと、ずっと思いながら歳をとりたい。
そんなことを、つい考えてしまう。
電車でいえば改札口なんだろうか。
荷物検査に進んでいく列の、中と外。
クシャクシャの泣き顔で僕らは向かい合い、右の拳を口元にあてて
「シシシーッ!」と別れの挨拶をした。
「ひとつだけ貰えるなら、絶対にどこでもドア」
そう言ってたから、探し回ってようやく雑貨屋で見つけた、どこでもドアのキーホルダー。
南極だって、北極だって、500マイルだって、いつでも越えられるひみつ道具。
電車の中で渡したそれが、クミちゃんのカバンに揺れる。
多分クミちゃんは、そのドアに頼ることはきっとないだろうから、どうかこの先、嫌な事よりも良い事の方が沢山ありますように。
その背中を見送りながら、いるはずもない神様と、おばさんと、ドラえもんにお願いした。
本当はね、クミちゃん。
あの時、悩みすぎて答えが出せなかったドラえもんのひみつ道具。
一つだけ貰えるんなら、僕は「時門」が欲しかった。
時間の流れを、速くしたり遅くしたり、好きに操れる道具。
もしも僕が持ってたら、時間を思いきりゆっくりと流れるようにしたかった。
もう少しだけ、ゆっくり、一緒に歩きたかった。
飛んでいく飛行機を眺めながら、そんなことを、つい考えてしまう。
午後2時35分。
飛行機が飛んでいく。
クミちゃんを乗せて。
500マイル離れた、僕の行ったことのない街へ。
おわり