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線香花火
あと少ししたら、バスが来る。
都会へと帰って行く人を乗せる高速バスが、遠く向こうの方にぼんやりと見えてくる。
「裕ちゃん。来年はさ、手持ちだけじゃなくて打ち上げの花火もしようよ。パーッと派手なやつ。ねっ? 約束ね」
裕ちゃんは分かったとも何とも答えない代わりに、フーッと大きくタバコの煙を吐き出した。
「タバコもそろそろ時代遅れだよ? 少しは減らしなよ。もう良い歳なんだから」
昔から何を言ってもただニコニコと笑うだけだったけど、そのニコニコした顔が好きだから、つい色々と言ってしまう。
もう、帰るのかぁ。
もっと色んな話、したかったな。
お盆の時期が明けて都会から帰省した人たちが帰って行くと、いつもの日常を取り戻したかのようにこの街は途端に閑散とする。
商店街のシャッターはお盆が来ようが明けようが閉まったままで、お盆だろうが平日だろうが交通機関の運行本数は片手で数えられるままだ。
それは多分この先も、ずうっと。
一昨日降った雨を境に、なんとなく季節が秋の準備を始めてきてるような気がする。
遠く街を取り囲むようにそびえる山の上。先週までは分厚くって大きな塊のホイップクリームみたいな入道雲が沢山あったのに、今日は丁度、お母さんがたまにお父さんに作ってた、マグロのお刺身に載っけられたトロロみたいな雲が見える。
我ながら表現のボキャブラリーが貧しい。
きっと芥川とか谷崎とか太宰とか、そういう文豪と言われる人達なら、なにやらものものしくて難解な、それでいて心地良い表現でこの空を表現するんだろうなぁ。今度、教えてもらいに行きたい。
子供の頃、お盆の時期は少し苦手だった。
どの家からも線香の匂いが強く漂って、気のせいか街全体が白く煙ってるような錯覚をしてしまう。折角の立派なブドウや桃だって、あんなに線香の煙を浴びせられちゃあ台無しになっちゃう。
でも滅多に会えない従兄弟とか親戚とか、みんなに会えるのは楽しみでもあった。だって、お正月以来のお小遣いチャンスなのだ。嬉しくない筈がないでしょう?
もう、お小遣いなんて貰える訳じゃないけど、やっぱり懐かしい顔に会えるこの時期は、いつの間にか私の大好きな季節になった。
「マコ、ただいまー」
8月13日の夕方。帰ってきた裕ちゃんは、相変わらずニコニコとした顔で声をかけてきた。
「お帰り! 遅いよー、待ちくたびれたよ」
「正月もなかなか帰って来れなくてさ。ようやく休みがとれたよ。申し訳ない」
「少し痩せたかな?」
「いいや、太ったよ」
「髪、切ったけどどうかな?」
「うぅん……なんか、中途半端」
ゆっくりと時間をかけてお参りをすると、盆踊りの準備がされたお寺の境内で、裕ちゃんは鞄からガサゴソと包みを取り出した。
「今年はさ、少し奮発したよ。ほら、迎え火と送り火用に花火、買ってきた」言いながら、和紙で丁寧に包まれた花火を出してみせてくる。
「これ、線香花火なんだ。値段聞いたらびっくりするよ。なんと一本、600円」
おもわず頭を叩きそうになったけど、裕ちゃんらしいといえば、裕ちゃんらしい。
「年に一回の事だし。マコ、線香花火好きだったし」
暗くなってきた家の近くの公園で、これ以上ないくらい神妙な顔をして、線香花火に火をつける裕ちゃんが、なんだか可笑しかった。
線香花火、綺麗だね。
いつだったか、子供の頃の夏休み。裕ちゃんのおばさんが教えてくれた。
『火をつけて、最初はまん丸な"牡丹"が咲くよ。そしたら、次は大きく弾ける"松葉"。ね、松の尖った葉みたいでしょう? 今度は、まぁるいパチパチの"柳"になって、ゆっくり小さく散っていく"散り菊"に変わるの。ほら、変わった。そうして花びらが散ったら、最後は小さな丸い蕾になって。ね、地面に還っていくみたいでしょう? そしたら「また、来年会えますように」って、お祈りするの』
裕ちゃん、お祈りした?
私はしっかりちゃっかり、お祈りしたよ。
何をって?
そんなの、言わないよ。
……言えないよ。
裕ちゃんと街を歩くのは、いつぶりだろう? もうすっかり都会の人な裕ちゃんに、歩いてる人もほとんどいないシャッター街を見られるのは、なんだか少し気恥ずかしいよ。
「裕ちゃん、覚えてる? あそこ、昔、喫茶店だったとこだよ。裕ちゃんが、ピザトーストに感動して、3回おかわりした。あの時は、恥ずかしかったなぁ」
「あぁ、ここの喫茶店。無くなっちゃったんだなぁ。しょっちゅう入り浸って、そういえば、マスターにタバコ、怒られたなあ」
あったねえ、そんな事。私も一緒になって怒られて。懐かしいね。
街に一つだけの古い映画館。私達が高校生になってすぐ、ここも無くなっちゃった。
「マコと、初めてデートしたとこだ。あの時、ホラー映画しかやってなくて、マコ、ホラー嫌いだったから凄く嫌がって『良いの? 映画観るってことは、少なくとも最低2時間は、私とお喋りする時間が無くなるって事だよ?』って」
言ったっけ? いや、言うな。私なら多分言う。
笑いながら、裕ちゃんと街を歩く。
ほとんど歩いてる人もいないから、まるで貸し切りみたいで、なんだか映画でも撮影してるみたいだよ。
ホラーじゃないよ。コテコテのさ、恋愛映画。
ふっ、と裕ちゃんが足を止める。
閉鎖されたバスターミナル近くの、歩道橋が架かった交差点。
「裕ちゃん、行こう」
声をかけるけど、裕ちゃんはぼんやりと交差点に立って、2、3分ほど目を瞑っていた。
「大丈夫だよ。もう」
声をかけると裕ちゃんは、一度だけ交差点を振り返って、そのあとは、またいつも通りのニコニコした顔で、歩道橋の下を潜っていく。
昔と今の街の風景を重ねながら、眼に焼き付けるみたいに、ゆっくりと裕ちゃんは歩いていた。
私はどこか嬉しくて、少し寂しくて、時間がゆっくり、ゆっくり流れてくれるよう願いながら、裕ちゃんの横を歩いた。
あと少ししたら、バスが出る。
「裕ちゃん、元気でね。……また、来年。でも、無理しちゃダメだよ。帰って来れなくても、私は大丈夫だから」
窓ガラスの向こう。裕ちゃんと目が合う。
「あと、ね、裕ちゃん。もう、そろそろ私の事はさ……あー……うん。やっぱり、いいや」
バスの中、聞こえてないだろう裕ちゃんに思いきり手を振ると、裕ちゃんはやっぱりニコニコと、優しく笑っていた。
走り去って行くバスを、見えなくなるまで見送って、トロロみたいな雲をもう一度見上げて。
私も、いつもの場所へのんびりと足を向けた。
ありがとう、裕ちゃん。
ごめんなさい。
今年もやっぱり、言えなかった。
あと少ししたら、バスが着く。
久しぶりの地元への帰省。
仕事の忙しさにかまけて、今年は正月も帰れなかったから、このお盆にはしっかりと休暇をとった。
高校卒業とともにこの街を出て、県内の都市部に住み始めてから、もう何年になるだろう。そろそろ、この街で過ごした年数より、この街を出て過ごした年数の方が長くなってきている。
すっかり寂れてしまったこの街も、お盆と正月には、県内や県外からの帰省客で少しだけ賑わう。バスを降りると、自分と同じような帰省の人達がポツポツと見えた。
両親も亡くなって、この街と自分を結ぶものは、僅かな、とても頼りない縁になってしまったけど、やっぱり生まれ育ったこの街の空気を嗅ぐと、僕はどこか安心する。
さあ、迎えに行こう。
今年はとっておきのお土産も買っておいたんだ。
納骨堂で、自分の家のともう一つ、お参りしてから神社の境内に出ると、盆踊りの準備がされている。
昔、よくマコと一緒にカキ氷を食べながら、真っ赤になった舌を見せ合って笑ってたな。
そうそう、今日はもう少し暗くなったら、買ってきたこれをしよう。
マコが大好きだった線香花火。
納骨堂を振り返ると、よくオトンやオカンが言っていた事をふっと思い出した。
お迎えのお参りで、納骨堂からご先祖様を背中に背負って、送りの時には家からまた、ご先祖様を背負ってお送りする。
「裕、しっかり背負えよー。みぃんなお前の事、一年、首を長うして待っちょったんやき。しっかり家まで連れて行こうなぁ」
キュウリの馬もナスビの牛も頼らない、効率的な送迎方法。
お盆に間に合って、良かった。
家の近所の公園は、背の高い草がそこかしこに生えていて、昔、順番を取り合っていたブランコは、片方の鎖が切れて、座面はボロボロに朽ちていた。
ほら、線香花火。
値段聞いたらびっくりするよ。
多分、マコなら『食堂で焼きそば何皿食べれると思ってんの!』って怒るんだろうけど。
あの食堂、懐かしいなあ。
良いよね?
年に一回の事だし。マコ、線香花火好きだったし。
そういえば、夏休みの頃、線香花火をすると、決まってオカンが僕とマコに言ってたな。
『火をつけて、最初はまん丸な"牡丹"が咲くよ。そしたら、次は大きく弾ける"松葉"。ね、松の尖った葉みたいでしょう? 今度は、まぁるいパチパチの"柳"になって、ゆっくり小さく散っていく"散り菊"に変わるの。ほら、変わった。そうして花びらが散ったら、最後は小さな丸い蕾になって。ね、地面に還っていくみたいでしょう? そしたら「また、来年会えますように」って、お祈りするの』
そっちはどうかな。
正月は帰れなくてごめんなさい。
見えてるかな? 線香花火。
一本600円だぜ。
大事に大事に、最後の蕾を見守って、地面に落ちていくのを見送って。
「どうか、また来年、会えますように」
長く長く、お祈りをした。
久しぶりの街は、やっぱり、そのほとんどにシャッターが降りていて、古い友人や知り合いがいなくなってしまったような気持ちにさせられる。
マコとよく来た喫茶店。
付き合ってほしいって、伝えた時の僕は、どんな顔してた?
マコ、気付いてたかな?
あの時、僕はあんまり緊張し過ぎて、とにかく気を逸らそうと、ピザトーストを3枚も食べた。
必死に食べてる僕を見て、ケタケタ笑うマコの顔が本当に魅力的だった。
こんなに笑顔が似合う人は、どこを探してもいないだろうなって思ったよ。
だから、マコに笑ってもらえるように僕もずっと笑っておこうって。
それでかな? 未だにいつも笑ってる。
たまに、ヘラヘラすんなって、怒られるけど。
映画館。
いつまでもつかなって言われてた、ボロボロの建物だったなあ。
覚えてる?デートで観たホラー映画。あれがあの映画館の最後の作品だったんだよ。
マコはホラー嫌いで、映画を観たら私と喋る時間が減るよ、って脅迫めいた事言ってきたけど。
ホラーだったから、どうしても観たかったんだ。
怖がったマコが、手、繋いでくるんじゃないかなぁって、不純な事考えてた。
だってあの頃、手を繋ぐタイミングすら分からなかったんだよ。
怖い怖いって言ってる癖に、スクリーンを真っ直ぐに観て、絶対にこっちを向かなかったマコの横顔を、僕もずっと見てた。
そういえば、手、握れなかったな。
あの後、なんだか少し、マコは機嫌が悪かったのを覚えてる。
楽しかったなあ。
あの頃のデート。
遠くに歩道橋が見えてくる。
あの交差点。
あの時、僕は大学に入って初めて、この街に帰省するところだった。
バスに一本乗り遅れて、30分遅れの次のバスに乗った。
終点に近くなって、バスの窓から見える救急車やパトカーを、まるで他人事みたいに眺めてた。
ごめんね。
迎えに来てくれたのに。
間に合わなかった。
ごめん、ごめんなさい。
あと少ししたら、バスが来る。
なかなかやめれないタバコを吸っていると、昔、マコによく怒られた事を思い出す。
多分、今だったら時代遅れとかなんとか、怒られるんだろうなあ。
こればっかりは、なかなか。
でも、もう40だし、そろそろ身体の事考えるよ。うん。
あと少ししたら、バスが出る。
窓の外を見ていたら、なんとなく、マコがそこで大きく手を振ってるように見えて、だけど、照れ臭かったから、精一杯の笑顔で返した。
また来年も、遅れないように迎えに行くよ。
ゆっくりとバスが走り出す。
遠く山の上。
溶けかけのアイスクリームみたいな雲が広がって、季節が少しずつ変わってきているんだと、なんとなく感じた。