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ヤキニクデイズ5

前回までのあらすじ

ふたたび、浜辺でイジメられている亀を助けた主人公。
助けてもらった亀はひたすら感謝して、
「あのー、出来ればお礼とかしたいんスけど、息とか長く続く方っスか?」
と言われ、、、。


入れ歯のとれたエンジェル


今やマスクは、日常生活に欠かせない必須アイテムになった。
着けていないと、場合によっては、四次元ポケットを持っていないドラえもんぐらい冷たい視線を向けられることもあるので、注意が必要だ。
ノーマスクで能天気に過ごしていた日々が懐かしい。

世の中が、こんな状況になる遥か昔。
僕の地元でマスクといえば、歯医者の先生が治療中に着けるか、暴走族のフォーマルなスタイルか、そのどちらかぐらいの認識だった。

それでも、数少ないマスクにまつわる思い出を紐解いてみると、甘酸っぱいあのころの記憶が蘇ってくる。


その日は、ラストまでの勤務。
続々とお客さんも帰っていき、片付けながらも気持ちが踊ってくる。

もうすぐ閉店時間だ。

時計をチラチラと見ては、帰ったらたまごっちにエサをやろうとか、祈りを込めてミサンガを編もうとか、ウキウキしながら僕は、テーブルの片づけをしていた。

そんな穏やかな静寂を破るかのように、女性トイレから、
「キャー!」
という悲鳴が起こる。
何事!とトイレに向かおうとしたときには、女性の声を聞きつけた谷さんが、いち早くトイレをノックしていた。

さすが谷さんだ。
これが男性の悲鳴なら、ホールから一歩も動かなかったはず。根っからのジゴロだ。

一足遅れでトイレに行ってみると、洗面台に見慣れない物体が置かれている。
「なんすかコレ?」
僕が聞くと谷さんは、まるで、殺人現場を確認する敏腕刑事のように
「入れ歯やね。うちの婆ちゃんのやつによう似ちょう」
と、えらく深刻な表情をして言った。
おそらく、さっきの女性の視線を意識してのものだと思われるけど、言っている内容はたいしてカッコよくもなかった。

悲鳴を上げた女性は、20代と思しく、
「これ、アナタのですか?」
と聞こうものなら、それ以降、僕とは口をきいてもらえなくなるだろうと推察出来たので、僕は大人しく成り行きを見守ることにした。

そうこうしてると店長もやってきて、
「何?誰?こんなことするのは!」
と、怒り心頭なご様子だ。

入れ歯を置いていく、というのが店への嫌がらせとして果たして効果的な手段なのか、入れ歯というのは世間一般ではそんなに簡単に入手できるのか、そんな疑問が頭に浮かんでくる。

僕がワケありの特殊な小学生なら、
「真実はいつもひとつ!」
と言いながら、腕時計型麻酔銃で店長を眠らせて、名推理を披露するなかなかの名場面になるはずだ。

とはいえ、僕は特殊な小学生でもなく、腕時計型麻酔銃も所持しておらず、なにより早く帰りたかったので、深刻な顔を維持しつつ、引き続き、成り行きを見守った。

結局、入れ歯の持ち主は店内にはおらず、僕も谷さんも、キッチンにいるゲンちゃんも自前の歯で頑張っていたため、たちまち事件は迷宮入りとなった。
僕がワケありの特殊な(中略)

店長は、まるで新人アイドルが早朝の釣り番組でエサのミミズをつまみ上げる時のように、苦々しい顔で入れ歯をビニール袋に入れると、
「ああ、もうイヤ!イヤ!」
とバックヤードに保管した。

背中になかなかの鯉金を彫っている人とは思えない反応だけど、
鯉<金太郎<入れ歯
と考えれば合点がいく話だ。
この広い世界。
背中に入れ歯を彫っている人も、もしかしたらいるのかもしれない。興味深い。


入り口近くに「忘れ物のお知らせ」と貼り紙をするころには、先ほどの女性は会計を終えており、谷さんがきっちりと店外までエスコートしていた。
女性関係に関しては、その学習能力を全く発揮しないところが、谷さんのニクいところだ。


翌日、入れ歯の持ち主を名乗るお客さんは現れず、普段と変わりのないお店の日常が訪れた。

ひとつだけ、いつもと違ったことといえば、タエさんが白いマスクを着けて、一言も喋らなかったことぐらいだ。

みんなからは
「声も出らんぐらいの風邪なら、帰った方が良いよ」
と心配され、タエさんはブンブンと首を振って応えていた。
それからしばらく後、バックヤードでの休憩から上がってきたタエさんは、うってかわってノーマスク姿となり、いつも通りちゃきちゃきと喋り倒していて、
「朝飲んだ葛根湯が効いたばいね」
と、白い歯を見せて笑っていた。


入れ歯がどこにいったのかは、今も分からないままだ。





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