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ヤキニクデイズ4
前回までのあらすじ
小学生の頃、のび太が食パンをくわえて
「遅刻だ〜」
と学校に行っている姿に憧れて、一度マネをしてみた事があります。
送り出す母の悲しそうな顔を、今も忘れられません。
母さん。
あなたの息子は、無事に43になりましたよ。
今では、朝はもっぱらおにぎりですよ。
トイレのアヤ子さん
店のトイレは、個室が2つ。
一応、男女は分けられてたけど、これといって何の変哲もないTOTO便器が置かれているだけの、つつましい普通のトイレだ。
たしか、当時は今よりも珍しかったウォシュレットが、女性用にだけ取り付けられていた。
トイレ掃除は、だいたいローテーションで当番が割り振られていて、みんなそれぞれに掃除の仕方にクセがある。
谷さんは、掃除後に男女両方とも便座を上げっぱなしのままにする。
タエさんは、ペーパーを必ず三角にしてないと気がすまない。
ゲンちゃんの後は、高確率で自分のライブ宣伝のポスターが壁に貼られていた。
僕はトイレ掃除が嫌いだった。
多分、みんなも。
ところが、どういうわけかアヤちゃんだけは、シフトに入れば、当番じゃなくてもすすんでトイレ掃除をしていた。
世の中には奇特な人がいるもんだと、その奉仕の精神に常々あやかりたいと思ったものだ。
アヤちゃんは、ミカちゃんと同じ商業高校に通う同級生で、僕ら3人は同い年。
ミカちゃんと比べると真面目で控えめで、ミカちゃんとは対照的に、小柄で良く笑う結構可愛いタイプの女の子だった。
ありがたい事にアヤちゃんは、僕が掃除当番の時も、シフトが入ってればほぼ代わりに掃除をしてくれた。
ちなみに僕は、比較的不遇な人生を送っていたため、人から優しい事をされるとすぐに好きになるという特殊能力の持ち主だ。
当然ながら、アヤちゃんにもそこはかとなく好意を寄せて、トイレ以外の面倒な仕事は、出来る限りは代わってあげた。
ある時、アヤちゃんに
「いっつもトイレ掃除して、嫌じゃない?」
と聞いてみた。
「トイレっち、なんか落ち着く所やん?そこが汚かったらお客さん、落ち着かんやろうけねぇ」
と、アヤちゃんは言う。
雷にうたれた気分だ。
なんという深い思いやり。愛情。
同じ年齢とは思えない。
いかに楽に仕事して、スマートに肉のおこぼれにあずかるかに思いを巡らせていた自分が恥ずかしかった。
この感動を、誰かに伝えたい。
僕は元来、気になってる子の話は誰かにペチャクチャと喋りたいタイプだ。
バイトあがり、店の裏でタエさんとミカちゃんがおしゃべりしていた。
おあつらえ向きだ。
アヤちゃんの深イイ話を、この哀しきこまどり姉妹にも聞かせて、これまでの非道を悔い改めさせよう。
「二人とも知ってます〜?アヤちゃんがトイレ掃除頑張ってる理由〜」
「あー、あの子トイレやないとタバコ吸わんもんねえ」
訳知り顔でタエさんが言う。
「そうそう。学校やと、ばりヤンキーやもんねえ。店やとネコ被っちょうけど。ウケる。」
鼻から煙を出しながら、ミカちゃんが笑う。
この頃から僕は、真面目な女の子を過度に警戒するようになった。
老婆が来たりてホラを吹く
日曜日。
昼どきのお客さんが、あらかたハケた時間帯。
その婆ちゃんは、紫色の髪にカチューシャをはめ、お年寄りがよく持っているシルバーカー的なカートを引きずってやって来た。
何だかよく分からないデカい玉の首飾りが、占い師か南米のシャーマンみたいな雰囲気を漂わせて、顔はたしか、菅井きんに鷹か鷲を足したような顔だった気がする。
席に着くやいなや、特上カルビと特上ロースという、店で一番高い二大巨頭のメニューと瓶ビールを注文すると、菅井きん似の婆ちゃんはカートから缶ピースを取り出して、深々と吸った。
この店でバイトを始めて、はや半年。
「ああ、このお客さんは何かあるな」
と察知する嗅覚が、僕も結構鍛えられていた。
右手の人差し指と中指を眉間に当てるスタイルが、「要注意人物来店」の合図で、発案したのは谷さんだ。
ピッコロさんがいよいよ魔貫光殺砲を撃つぞ!という直前のようなそのポーズ。
迷わず僕は、ホールにいた店長にそのポーズを送った。嫌な顔をされた。
お婆さん然としたその見た目とは裏腹に、旺盛な食欲で、菅井きん似の婆ちゃんは肉もビールも追加して平らげ、ゆっくりと缶ピースを吸いながら店内をぐるっと見渡した。
じっとホールの隅で様子を伺っていた僕に、
「お兄ちゃん、ちょっとお兄ちゃん」
と声をかけてくる。
まだ追加するのか。底なしか。きんは。
テーブルに行くと、
「店長さんと話がしたいんやけどね」
と、菅井きんにアナコンダを足したような上目遣いで言ってくる。
藤田まことになった気分だ。バイトなのに。
「この店は良うないよ。店長さんに教えちゃらんと」
と、きんが言う。
「悪いのがウヨウヨしちょるばい、そこいら中に」
たしかにその点は正しい。
人間性に難ありの人たちが、ここの店員に多いのは、隠しようのない事実だ。
ところが、
「お祓いをしてやらんといかん」
と、きんは言う。
いくら人間性に難があるとはいえ、愛すべき同僚たちをお祓いするとは失礼な。
しかし、きんが言うにはこの店には、タチの悪い幽霊が沢山住みついているのだという。
この一言により、心霊関係の話が大好物だった僕は、きん、もといお婆さんへの好感度が急上昇した。
すぐ店長に知らせましょう!
がってんだ!
といった具合に、店長に報告に走る。
一部始終を見ていた店長は、およそバイト店員に見せる表情とは思えない、露骨に嫌な顔をしながら、お婆さんのテーブルについてきてくれた。
キッチンに入っていたタエさんが、面白そうにホールの片づけに入り、聞き耳を立てる。
「店長さん、ここにゃ良うない霊がウヨウヨしちょるよ」
「霊って、、何ですか、なんの霊ですか」
馬鹿にしたような半笑いで聞く店長。
これがホラー映画なら、霊の最初の犠牲者になるフラグが立ったことだろう。
はたして、どんな悪霊がこの店に巣食っているというのか。
ワクワクが止まらない。
「牛やね」
・・牛?
「・・・牛って」
笑う店長。
キッチンに駆け込むタエさん。
「牛が泣きよるよ。食べられて、悲しいっち」
つい先ほど、その牛たちの特上部位を貪り食っていた口で、きんが言った。
きん、牛は弱い。
霊的な怖さにイマイチ欠ける。
どちらかといえば、幽霊というより妖怪の類いだ。
思ったとおり、店長も聞き耳をたてていたタエさんも、怖がるどころか
「牛なら、まあ良いんじゃね?」
的ムードだ。
これはちょうど、妥協できるラインを徐々に下げていく、学級崩壊と同じ構図だ。
このくらいいいだろ!と、教室内にもかかわらず男子が体育館シューズを履き始める雰囲気が、店内に漂う。
「幽霊はいいですから、そろそろお会計いいです?一旦夜までお店閉める時間なんで」
店長が仕切り直すように言う。
さすが、海千山千百戦錬磨の男、いやオネエ。
面倒な客あしらいも鮮やかだ。
さっきまでの宜保愛子的なムードが影を潜め、まるで菅井きんにチワワを足したような顔で、
「まけちゃらん?」
と、きんが言う。
「は?」
「お祓いしてやろうて言いよるんよ!まけちゃってん!」
店長との押し問答の末、近所の交番から来たお巡りさんに散々悪態をつきながら、きんは連れていかれた。
きんが去った後のテーブルを片付けながら、
「せめて、落武者ぐらいにしておけば良かったのに」
と、なんだか少し、僕はしみじみとした。
その後、店内に牛の霊が出ることは無く、あの婆ちゃんも見ることはなかった。
いつもどおりの焼肉屋。
変わった事といえば、店長がそれ以来、腕に数珠をつけるようになったくらいだ。