【センス=価値観】センスは何と繋がっているのか
お久しぶりです。
昨日はいつもの散歩コースには茶色の枝に可愛い梅紫が。
空気の冷たさは未だ続いていますが、この時期の低彩度の梅の色は悪目立ちせず、その中でも暖かさを感じます。自然の色彩は見事ですね。
私ごとですが、昨日の21日で29歳を迎え新たな一年がスタートしました。
止まっていたnote更新も週1と言わず週2のペースで更新していきたいなと思います。(忙しさを理由にサボりがちなので。。笑)
さて、今日も私が普段思うことについて、つらつらと自分の見解を書いていこうと思います。
今回は
センスと価値観についてです。
一言にセンスといっても、その言葉はいろんな場面で使われますよね。
言葉のセンス、リズムのセンス、音楽のセンス、空間デザインのセンス、字のセンス、料理のセンス etc.
今回はセンスがあるないの話ではなく、センスって何から産まれるの?と言うセンスそのものの存在の話です。
このセンスに関して私はそれぞれの価値観によって存在するものと思います。
つまり、人によって価値観は違うので、人それぞれの中にあるセンスの基準が違うと言うことです。
HIPHOPを例にしても、日本語ラップが好きな中でも
うわーこの曲カッケーな。と思う曲は人それぞれ。
フリースタイルダンジョン系(般若、輪入道、ZORNとか)がこれこそ日本語ラップだぜ!カッケーと言う人もいれば
KID FRESINOのように近未来的なアーティスティックなシンセ感の曲がオシャレでカッコイイと言う人も。
どちらがセンスがある音楽なのか?と言うことではなく、それぞれにセンスが存在すると言うことです。(双方の音楽の中でよりセンスの度合いもまた存在)
ちなみに、私は基本的に雑食なのでどちらも好きです。(洗濯物干すのもHIPHOPだし、お酒は歩いて帰れるだけ飲みます。)
話は少しそれますが
そのセンス(価値観)は精神とも人生観とも繋がっています。
例えば、ゆったりと過ごしたい。争いや物理的な成功より、地球と共に心の平和や余白を楽しむ人生を歩みたい人は(都会に住んでいるが精神ではそれを望んでいる人も)
きっと都会よりも田舎を好みますし、車の中で流す曲はアコギやウクレレなどが使われたスローリーな音楽を好みます。(ジャックジョンソン、ドナヴォン的な)
そのセンスに同感する人は同じ人生観の人と集まりますし、集まろうとします。
えーっと、言いたいことがまとまらなくなってきましたが
つまり、私が考えるセンスの存在は、様々な価値観の中にある。人生観、精神感などと一貫性があり、それに共感する仲間や囲いの中で産まれるものという事です。
要はですよ、山にいる動物にはそこに住む物にしかわからないことがあるし、海にすむ魚には魚にしか見えない世界がある。(魚は魚でも川と海と湖もあるし、寒い海も暖かい海もあるし)
現代では簡単に移動できるし、見ず知らずの人と知り合う機会や機能がある。でも人の世界でもその人たちによって価値観の違いはあって当たり前だし、動物たちと同じだと思うんですね。(センスの話からぶっ飛びましたね)
だから自分が好き!だと思うことが 仮にその場にいる人がそれは無いよ〜と否定したとしても、それはたまたま自分のいる場にいないだけの話で
自分と同じ価値観を持つ人がいないのではなく、その場に居合わせていないだけの話です。
私は、自分の価値観を知り大事にすると言うことはセンスが産まれる最初の段階だと思います。
だから自分が何が好きなのか、どう生きていきたいのかなど人生観から考え価値観を知ると言う事をぜひしてほしいと思います。
センスをつけたいの前の段階、自分がどの場所でセンスを磨きたいのか?は価値観から。センスのある人は必ず自我がしっかり(つまり価値観)ここが明確にある。
またいつものように 話がそれまくりましたね 笑
これは専門学校の生徒にも伝えたいな〜 もっとわかりやすくまとめて授業でしよう。