「文学とは何か」についての備忘録
大学院時代の恩師に、心から尊敬している先生がいる。
その先生はフランス文学・哲学界のたいへんな権威だが、その範疇に留まらない知識の豊かさ、思考の鋭さを持ち合わせておられる。
数えきれないほどの文学作品を読んできたであろう先生が、「文学とは何か」という問いに対する、非常に簡潔な一つの答えを提示してくれた。
今日はそれについて思い出すままに書いてみたい。
例えば、こんな文章があったとしよう。
◆◆◆
暗い部屋の窓辺に、若い男女が向かい合って立っている。
ふたりは何も言わない。
沈黙が続く中、女が突然泣き出した。
男は「馬鹿だなぁ」とつぶやいた。
すると窓の外では雨が降り出した。
男はふと窓の外を見て、「雨か」と言った。
…
◆◆◆
この文章を読んだ時、男の言った「馬鹿だなぁ」という発言の意味を、どう捉えるだろうか。
言葉通りにとればもちろん、女に対して「お前は馬鹿だ」という意味になるが、男は本気で、女のことを頭の悪い馬鹿だと思っているのであろうか。
おそらく、ほとんどの人がそうは捉えないだろう。
「雨か」という台詞についても同じである。
男は目の前で泣く女に、「雨が降ってきたよ」と知らせたいのだろうか。まさか、そんなはずはあるまい。
これこそが文学なんだと、先生は言った。
この文章をさらりと読んだだけでも、二人は複雑な関係なんだと想像できる。
原因はわからないけれど、何やら不穏な空気が漂っていることは確かだ。
男の言った「馬鹿だなぁ」は単に「お前は馬鹿だ」の意味ではなく、もっと含蓄がある言葉だ。呆れているのかもしれないし、男の口癖かもしれない。女の涙に対する、愛情のこもった精一杯の返答かもしれない。
「雨か」についても、気まずい沈黙を破りたかっただけかもしれない。
そう考えていくと、二人の物語は想像でいかようにも変わってくる。
必ずしも言葉通りとは限らない台詞。人の心情を移すかのような風景描写。一見、ストーリーに関係ないように見える独白など、すべてが網目をなして一つの作品ができている。
読み手はそれらに誘導され、想像を膨らませて、自然と「書かれていないこと」までも読んでいる。
それこそが文学なんだ、と。
先生からこれを聞いたとき、なるほどと思った。
文学とは何か、という難しい問いの分かりやすい答えの一つである。
そんなことを書きつつ、最近は小説をじっくり読んでいないけれど、
良い作品に触れて、ことばの美しさと喚起力に陶酔したい、と常に思っている。
誰も言語化したことないような感情や思想を語った文章。どんな映像や香りや音よりもありありと情景を現前させるような文章。その瞬間は何もかも忘れて、何度もその行を読み返してしまうような。
そんな本にまた早く出会いたい。
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