レース ー 魔法のステッチ ー その1
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
出会いを与えてくれたアンティークレース
ー ロココの服飾文化に憧れた学生時代
先日の記事で取り上げた、私をアンティークレースの虜にしたレースついて今日はお話ししたいと思います。
まだレースに関する深い知識を持ち合わせていなかった頃は高級なレースは《リバー・レース》という認識しかなく、ハンドメイドのレースと言えばボビンレースを趣味でされている方の存在を噂で知っていたという程度でした。
服飾の専門学校の学生時代は目にし手にするレースといえば機械で製造されたマシンレースのみで、人間の手で生み出すレースというものは漠然としたものとして、そのレース自身の儚さのようにまるで掴みどころの無い朧げな存在として私には映っていたのでした。
その頃、銀座の御木本さんのギャラリーでレースコレクターでレースに関する著作もある吉野真里さんの展示を拝見する機会もありましたが『レースは素敵なものだ!』という記憶も無く、当時18世紀の服飾文化に対する興味が暴走した私は、18〜19世紀の衣服を研究再現することに夢中で私にとってレースはそのような衣裳を飾る装飾のひとつでしかなかったのです。
ー 出会いは突然に
アンティークレースとの出会いは偶然によるものでしたが、それは今考えれば必然であったのかもしれません。
たまたま銀座を散策していた折に現在は閉店してしまったデパートの催事でアンティークフェアの告知を偶然見かけ、その催事を覗いたのが出会いのきっかけでした。
このアンティークフェアは決して大きなものではありませんでしたが、元々古いものが大好きであった私はその世界観に惹き込まれ、このフェアに何度も通い詰めました。
最初に見つけたものは、シミや経年の汚れでくすんでしまった白いコットンモスリンに施された白糸刺繍の小さな断片でした。
この白糸刺繍を見つけたディーラーは大きな袋をいくつも会場に持ち込んでいました。袋には様々なレースや刺繍、生地などが雑多に放り込まれていて、その中から気に入ったものを探り出すのはまるで宝探しのようで、まだ若かった私はその魅力に完全に取り憑かれその袋を時間も忘れて漁るのが何よりも楽しく感じられたものでした。
このフェアは定期的に開催していたのでそれ以来毎回通うようになって、2回目に足を運んだ際には最初に見つけた白糸刺繍と同じものを見つけたりもしました。このモスリンの白糸刺繍は左右対称のデザインで、対になったものだったのです。
ー 美術館の放出品
ある時、その袋の中で青い絹地に縫い付けられた何とも言えない光沢のあるような亜麻色のレースのようなものが目に入り、良く見ると青い絹地に縫い付けたものの他に、青い台紙に貼り付けたものや手書きの紙ラベルがピン留めされたものなどどれも初めて見るレースと思しきものがいくつも出てきました。
ディーラーの話しでは、『個人美術館や規模の小さな美術館が閉館したり、資金を得るために所蔵品を放出することがあり、そういったものも交ざってるいる』
ので台紙が付いていたりラベルが留めつけてあるのはそういうものではないか?とのことでした。
中でも一際私の心を捉えて離さなかったのは12cm×90cmくらいの青い絹地に縫い付けられた、素材は何かも判らないものでしたがそれは美しいレースで、一見して機械で製作されたものでないことは明らかでした。
そのレースはどのような技術で、どのように作られたのか、いつ頃作られたのかなどの詳細は判らないけれどそれが卓抜した技術により人の手で作り上げられたものであることは知識の無い私にも十分伝わるほどの凄みとオーラを放って一瞬にして私を魅了してしまったのでした。
レースの正体を探して
ー 株式会社ルシアンの資料
この日以来、このレースと思われるものが一体何なのか?という疑問と、そのものに対する好奇心が高まりこれが何者なのか知りたいという思いが募っていきました。
この気持ちこそ、今もこうしてレースを蒐集し研究する原動力となったのです。
唯一の手掛かりは、絹地にピン留めされた紙に手書きされたラベルでした。それには『Engageante of Point de France 2nd quater of the 18th century』と書かれていました。
調べて見ると、『18世紀の第2四半世紀のポワン・ド・フランスの袖口飾り』と書かれていることが判りました。
このラベルの記述を信じフランス語の僅かな知識のあった私はこれはポワン・ド・フランスと呼ばれるレースだと知り、このレースに対しての知識欲は満たされたのでした。
しかし、新たな疑問が生まれました。新卒で入社し刺繍レースのデザイナーとして勤務していた株式会社ルシアンはレースに関する書籍やアンティークレースを所有し、東京支店のデザイン室にも膨大な資料が所蔵されていつでも閲覧できるようになっていました。
研究家が著したレースに関する洋書も豊富に揃っていたので、このレースについて時間が許す限り書籍を読み漁り調べることとしたのです。そしてポワン・ド・フランスと呼ばれるレースと私の見つけたレースには相違点があり、レースの正体の謎は益々深まっていったのでした。
次回へつづく