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二度あることは三度ある ー レースのネクタイ ー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


謎のレース・パネル

ー エリザベス・ブルースのはなし

 このレースにまつわる話しはかつてmixiのトピックでも書いたのですが、その後に判明したことも併せて記事にしてみました。

 2005年ごろのことです。いつもお世話になっていたウェールズに住むディーラーの方が販売サイトに、あるレースを新規にリリースされたんですね。

 そのレースは説明に【 ポワン・プラ ・ド・ヴニーズ 】と書かれていたんです。これは、ヴェネツィアのフラットなニードルレースのような意味なんです。ちょうどポワン・プラも持っていなかったし、良い機会だなと思ってもいました。

 しかし、当時の彼らのサイトは商品画像の画質がとても悪くて、更に画像が小さくてレースの状態とかは商品の説明を読んで想像するしかなかったんです。今から考えるととても大らかな時代でした。

 ディテールはわからなくても全体的なデザインはとても素敵だったので、意を決してこのレースを購入させていただいたんです。なかなかすぐに支払える価格ではなかったと記憶していまして、そのため分割払いをお願いして半年以上経ってようやく届いたんです。

 それは赤い絹地に縫い留められていて、手書きで書かれた解説のような紙も縫い付けられていました。

レースに縫い留められていた手書きの解説

 この紙には、

「 Specimen of old Point - Lace belonged to Lady Elizabeth Boswell daughter of 2nd Earl of Kincardine Great - grand mother of James Boswell Biographer of Johnston 」

 と書かれていたんです。

 「(サミュエル・)ジョンソンの伝記作家オーキンレックのジェイムス・ボズウェルの曽祖母、第2代キンカーディン伯爵令嬢レディ・エリザベス・ボズウェルが所有したニードル・レースの標本」

 との意味になるのですが、「エリザベスっていったいどなた?」となった訳です。

 さらに心待ちにしていたレースが届いてみて、価格に見合わないとても変な見た目と表情感にガッカリ。分割払い( こちらの勝手ですが )と国際郵便で長らく待たされた挙句に、トホホなレースでしばらくは茫然自失でした。。

 しかし、ある日気づいたんです。「あれ? これって裏面じゃない?」私の知識のなかにあった【 ポワン・プラ 】とは明らかに様子がおかしい。ニードルレースの裏側って不細工とは言いませんが、決して麗しい見た目はしていないんですね。職人は常に表側を見ながらレースを製作するので裏の見え方は若干不均一なんです。

 赤い絹地から取り外したらビックリ! 全然【 ポワン・プラ 】ではないレースが姿を現したんです!

【 ポワン・プラ 】とされていたニードルレース
( 1680年ごろ )
【 ポワン・プラ 】とされていたニードルレース
( 1680年ごろ )
【 ポワン・プラ 】とされていたニードルレース
( 1680年ごろ )

 あまりに素晴らしいレースに、「エリザベス・ボズウェルってどんな人物なんだろう?」と私は興味が沸きました。エリザベスについて調べても詳細はわかりませんでしたが、しかし父親は著名な人物だったんです。

 この第2代キンカーディン伯爵はAlexander Bruceアレクザンダー・ブルース( 1629-1680 )という人物で、スコットランドの貴族でした。ブルース家はスコットランドの「クラン」(氏族)のひとつで、14世紀に2人のスコットランド国王を輩出した家柄でした。

ヨハネス・マイテンスが描いた『第2代キンカーディン伯爵の肖像』https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Bruce,_2nd_Earl_of_Kincardine

 アレクザンダーは貴族、政治家としてだけではなくフリーメイソン会員でもあり発明家として知られているそうなんです。土星の衛星「タイタン」を発見したことでも知られるオランダの物理・天文学者クリスティアーン・ホイヘンスと協力して「海洋振子時計」を発明したそうです。そして「王立協会」の設立メンバーである委員にもなっていてイギリスでは有名な人物でした。

 エリザベス・ボズウェルはアレクサンダーの次女で、第7代オーキンレック領主ジェイムズ・ボズウェルと婚姻したLady Elizabeth Bruceレディ・エリザベス・ブルース( 1671-1734 )でした。彼女の孫が伝記作者の第9代のジェイムズです。

 紙に書かれていたことに間違いはありましたが、エリザベスのことが少しだけ判明したのです。

美しい左右対称のデザインと写実的な自然主義的なモチーフの調和が美しいレース
高さがわずか16.5cmのなかに小さなモチーフにいたるまでステッチワークがほどこされています
ヴェネツィア様式の技法で作られてニードルレースにはめずらしく
ピコット飾りの変形した多角形のブリッドが見られます

 そして、当時の私はこのレースはエリザベス・ブルースの来歴に引っ張られて女性用の「エプロンのような前飾りの裾の縁取り」のレースだと信じ込んでいたのでした。

ー 切断されたレースのはなし

 それから15年ほど経った2020年にも、同じウェールズのディーラーからレースを入手しました。それもヴェネツィア様式のニードルレースです。

 さすがに15年の歳月が流れているので、そのディーラーのサイトも画像が鮮明になっていました。レースは美しいステッチで繊細そうな印象を受けました。

 しかし、そのレースはしばらくのあいだ売れずに残っていたのです。ずっと気になったまま1年くらい経った時だと思うのですが、私はそのレースを購入することに決めたのです。

 長期間にわたって気になっていたのもありますし、何よりそのレースは中心で半裁されて左右入れ替わっていることに気づいたんです! 

 頭のなかで左右を元に戻し再現した時に「これは左右対称の素晴らしいデザインだ!」と思いとても興奮しました。

 届いたレースを確認したらやはり左右が入れ替わって、さらに上下にも細巾の同じような雰囲気のレースが縫い付けられていたんです。

復元した美しい左右対称のデザインと自然主義的な植物表現が見られるニードルレースのパネル
( 1680年ごろ )
左右を元に戻したら美しいレースが現れました

 またしても同じような大きさの左右対称のデザインのレース・パネルが、私のコレクションに加わることになりました。

 ステッチがとても繊細で洗練されていて、それはそれは素敵なレースです。「このレース、なぜ売れなかったんだろう?」と首を傾げたくなる素晴らしさでした。

金銀細工のようなステッチワークが美しいニードルレース
植物の表現が自然主義的な写実を基にしたデザインが特徴で印象的なレース
レースのステッチワークにはヴェネツィア様式の技法が使われています

ー 二度あることは三度あるのはなし

 その1年後、再び同じような左右対称のニードルレースのパネルが私の目の前に現れることになります。

 私は「ご縁」というものはあるって信じているんですよね。そしてご縁って人だけでなく物にもあるのだと確信しているんです。このレースパネルも嬉しいことに私のコレクションに加わることになりました。

 そして今回は、と言うべきか今回も? それは今までに見た事もない素晴らしいステッチワークのニードルレースだったのです。

左右対称の調和のとれたデザインと、透かし細工のようなステッチが目を見張ります
( 1680年ごろ )
他のヴェネツィア様式のニードルレースとは一線を画す透かし細工のようなデザイン
モチーフには透かし文様を加えた精緻なステッチワークを見ることができます
透かし細工のようなデザインが随所にあしらわれています
モチーフの「トワル」に使われるステッチはヴェネツィア様式の技法です

 この3つのレース・パネルは、高さ17cmほどから22cm程度で幅は90cm前後くらいの似たような大きさなんです。ほかにも中心軸で左右対称の調和がとれたスクロールのデザインと共通項が見られるんですね。

 フランス人のレースの専門家の方も「このようなレースパネルを見かけることがあるけれど、それが何のためのものかは判りません。」と発言されていました。

 レースについての海外の専門書を調べても、1670年ごろから1680年代にかけて作られたと思われるこのようなパネルの用途が何であったのかは記されていないのです。

 その謎を解き明かしてくれたのは、イギリスのボウズ博物館の研究なのです。


ボウズ博物館のレース

ー アンソニー&アーサー・ブラックボーンのコレクション

 イギリス、ダラム州バーナードキャッスルに所在するボウズ博物館には、ブラックボーン・コレクションと呼ばれるアンティークレースの所蔵品があります。

 このコレクションは19世紀にレース商として活動したアンソニー・ブラックボーンとアーサー・ブラックボーンが蒐集したもので、彼らの子孫に伝わったものとして知られているんですね。コレクションは2006年にその子孫によって同館に寄贈されました。

ボウズ博物館所蔵の1665年から1680年ごろにかけて作られたニードルレース
当時の【 クラヴァット 】( ネクタイ )に再現されています

 同館はヴィクトリア・アンド・アルバート美術館が所蔵する1690年頃に製作されたGrinling Gibbonsグリンリング・ギボンズ( 1648-1721 )作の木彫に想を得て、歴史衣装家のルカ・コスティリオーロに依頼して現代の亜麻布と絹製の青色のリボンを使ってこのレースから【 クラヴァット 】の再現を試みたそうです。

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のグリンリング・ギボンズの木彫
ボウズ博物館はこの作品からインスピレーションを得て【 クラヴァット 】の再現を試みました

 ボウズ博物館の解説では、ブラックボーン・コレクションのレースは1665年から1685年頃にかけて製作されたものだそうです。この【 クラヴァット 】は同館の「ファッション&テキスタイル・ギャラリー」に常設展示されて、私たちも見学することができるんですね。このクラヴァットに再構築されたレースは元々、高さ21.5cm×幅79cmの長方形のパネルだったそうです。

 ボウズ博物館のほか、ニューヨークのメトロポリタン美術館の「ファッション・インスティテュート」も同じような見解をされていました。

カルロ・チェレーザ ( 1609-1679 )の描いた『男性の肖像画』( 1670年ごろ )
チェレーザの晩年の1670年代にはクラヴァットがイタリアでも流行していたのがうかがえます

 【 クラヴァット 】(ネクタイ) が流行した背景には、ルイ14世と「クロアチア兵」の有名な逸話がありますよね。実はこれは作り話という説があって、【 クラヴァタ 】という語源が中世の詩のなかに書かれているそうなんですよね。

 実際は【 クラヴァット 】の起源がいつ頃なのかは明確には判っていないそうなんです。しかし1660年代までとても流行していたレースの【 コル・ラバット 】と呼ばれた「襟」が、1670年代になると「ネクタイ」に流行が移っていきました。

アムステルダム国立美術館所蔵のニードルレースの【 コル・ラバット 】( 1660年代末ごろ )
同館では1690年から1695年ごろとしていますが、その形態から時代的には1660年代末の襟だと思います
ヤコブ・フェルディナント・フート( 1639?-1689 )の描いた『男性の肖像画』
ヴェネツィア様式のニードルレースの【 コル・ラバット 】が見られます
ヤコブ・フェルディナント・フート ( 1639?-1689 )が1684年に描いた
『第9代メディナセリ公爵ルイス・フランシスコ・デ・ラ・セルダ・イ・アラゴンの肖像画』

 Jakob Ferdinand Voetヤコブ・フェルディナント・フート( 1639?-1689 )の描いた2つの肖像画を見ると、【 コル・ラバット 】から【 クラヴァット 】への変遷がわかりますね。フートの肖像画で1660年代から1670年ごろに描かれたものは「襟」を着用していますが、1684年に描かれた第9代メディナセリ公爵は「ネクタイ」に変わっています。

私もコレクションのレースを使って【 クラヴァット 】を再現してみました
クラヴァットに仕立てる前のパネル状のニードルレース

 私もコレクションのなかにあった17世紀のヴェネツィア様式のニードルレースを使って【 クラヴァット 】を再現してみました。

 絹地に裏返されていたレースも、左右が入れ替えられていた謎のレースや透かし細工のレースも全て【 クラヴァット 】用のパネルだったのがようやく判明したのでした。

 みなさんも、もし17世紀後期のこのような左右対称のデザインのパネルを見つけることがあればそれは「ネクタイ」の装飾だと覚えておいてくださいね。

 エリザベス・ブルースのレースは女性用の「エプロンの飾り」ではなく、男性用の「ネクタイ」だったのです。1680年に彼女の父親アレクザンダーが世を去っているので、もしかしたらあのレースは父親の形見として大切に持っていたものなのかもしれませんね。

 

 


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