わたしの蒐集履歴書 その3
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
前回の記事は↓こちらをお読みください。
初期のレース
ー 16世紀末から17世紀前期
私のコレクションというお題。
その2では17世紀後期のレースについてお話ししましたが、アンティーク・レースのコレクションを重ね徐々に研究や知識が深まると同時に初期のレースに興味を抱くようになっていきました。
それはあるディーラーの方に出会い、その方と知り合えたことで更に16世紀から17世紀初前期にかけて作られた初期のレースに対して思いを深めることになったのです。
その方との出会いに関する記事を下記に書いておりますので、よろしければご一読いただけたら嬉しいです。
こうして日本では珍しい古い初期のレースまで取り扱ってらっしゃるディーラーとの知り合えて、お互いに情報交換するうちに「初期の古いレースっていいよね、渋好みな感じも素敵だよね。」って感じで意気投合していったんですね。
ー 16世紀のレース技法
初期のレースは刺繍技法から派生したニードルポイント、簡単なボビンレースのパスマンからはじまりました。
ニードルポイントには基布の糸を引っ張って格子状の網目を作ったドロンワーク、魚網状の網目に糸をかけていくフィレ、搦み織の網目状の基布に刺繍をしたブラットーがあります。
これらは刺繍技法から派生して、刺繍と併用されるなどして室内装飾や祭壇布などに活用されていきます。
また初期に多く見られる技法としてカットワークがあります。これは刺繍と併用されるかたちで基布の一部を刳り抜いて透けさせたことにはじまりました。このカットワークから初期のニードルレースであるレティチェロの技法が考案されます。
レティチェロはイタリア語で網目を意味し、この技法には必ず亜麻布を基布として必要としました。その基布を格子状にかがって切り抜いた空間を幾何学柄に刺繍していくことで、従来のカットワークと異なり全体的に透けた部分で構成されたニードルレースと呼ぶべきレースらしいレースとなったのです。
多くのアンティーク・レースの専門書ではレティチェロはイタリアのレースであるかのように記述されていますが、さまざまな資料を調べるとより繊細で細番手の亜麻糸を使用した作品はアントウェルペン周辺で製作されていたことがわかります。
レティチェロは徐々に切り抜くスペースを大きくさせ、より大きなモチーフの刺繍部分を作ることが可能となりました。それにより複雑なデザインや襞襟などの大型の作品の製作も可能としました。
16世紀のフランドルの有力な都市では富裕な商人たちがレースを商売として取り扱うようになっていきます。殊にアントウェルペンは中世以来スヘルデ川の水運を活かした商都として発展していきます。アントウェルペンを中心に細番手の亜麻糸を利用した繊細なボビンレースやカットワークレースが製造され、パリなどの諸都市へ販売されていました。
このコイフ( 帽子 )を入手したときは「これほど緻密で細かいカットワークがあるんだな。」ととても感動したのを今でも覚えています。
人物像のレース
ー ポワン・クペ ( カットワーク )
16世紀後期から17世紀初頭にかけて、ヨーロッパ各国でレースなどの手芸のための図案集が相次いで出版されるようになります。レースという新たな技法に対する人々の羨望がこのような出版への後押しとなりました。
それらの出版物にはレースのための図案として人物像を配置したデザインが頻繁に見られるようになります。16世紀半ばには幾何学柄がほとんどであったデザインから世紀の後半にはより複雑なモチーフが取り入れられるようになっていきます。
当時の風俗を表した人物像のほか、ギリシア・ローマ神話や聖書などの登場人物、動物などが図案化されていきました。
ー パスマン ( ボビンレース )
上流階級の女性に向けて出版されたレース製作のための図案集はニードルレースのみならず、ボビンレースでも製作が可能なようにデザインに汎用性をもたせる工夫がなされていました。
これにより多くの女性が技法にしばられることなく、自身の好みの手法で手芸を楽しむことができたのです。
色糸のレース
各国で発布された奢侈禁止令とともに17世紀以降、徐々に姿を消していく色糸を使用したレースが多く見られるのもこの時代のレースの特徴です。
金銀糸を用いたレースは宮廷衣装などの装飾として17世紀から18世紀にかけても盛んに作られましたが、色糸の多色使いのレースは贅沢品と見做されてほとんど作られなくなっていきました。
プント・イン・アーリア
ー 技術の革新
基布を切り抜いたり、織り糸を一々取り外す手間を解消するために生み出された技法がプント・イン・アーリアでした。これにより経糸緯糸のグリッドに影響されず、自由なデザインが可能となったのです。
初期にはグリッドのないジグザグの境界線が見られるようになります。これにより流れのあるデザインが可能となり、モチーフのほか縁取りも自由にアレンジできるようになりました。
また、流行の鋸歯状の縁取りはボビンレースに頼っていましたが、プント・イン・アーリアの技法によりニードルでも製作が可能となったのです。
プント・イン・アーリアにはさまざまなデザインが見られますが、前世紀との大きな違いはイスラム文様が起源のアラベスクが流行したことです。
初期には単純な幾何学柄のみのデザインだったものに人物などのモチーフが加わるようになり、この技法の開発によりレースはより自由な動きのあるデザインを獲得していきました。
ー ギリシア神話の装飾布
17世紀初期の刺繍とレース作品の傑作のひとつとされるこの装飾布は、手紡ぎの亜麻布に刺繍、カットワーク、レティチェロ、プント・イン・アーリアの複数の技法を使用して製作されています。
おそらくギリシア神話を題材としている人物像や動物は最新のプント・イン・アーリアの技法で表現されています。このような古典的な技法を残した作品のなかにも、最新の技術を取り入れて生き生きとした表現を生み出しました。
これらのニードルワークの粋を集めた重厚な刺繍やレース技法はのちのグロ・ポワンなどに見られるニードルレース技術の発展の原動力となったのです。
ヴァン・ダイクの襟
17世紀初期のレースで最後に取り上げるのは、私がコレクションをはじめて暫くしてから興味をもった1630年代ごろを中心に製作された襟や袖口を飾るためのスカラップ状のレースです。
これらのレースはイギリスで活躍したアントウェルペン出身の画家アンソニー・ヴァン・ダイクAnthony van Dyck ( 1599 - 1641 ) の描いた肖像画によく見られることから《 ヴァン・ダイク 》様式と呼ばれることもあります。
襟などを飾った17世紀初期のスカラップ・レースは10cm以上の大きさがあるのが特徴で、このようなスカラップ・レースは時代の経過とともに徐々に小さくなっていきました。
初期のレースは技法の揺籃期であった16世紀から17世紀初期には、レースに対する技法的なさまざまな試みと同時に試行錯誤の上で生まれた型に嵌まらないデザインの自由さがあります。そして爆発的な流行に支えられた技法に対する人々の飽くなき情熱と努力によって、面白みのあるレースが次々と生み出された時代でもありました。
日本では19世紀後期から20世紀初頭にかけて製作された一見すると華やかではあるけれど、バラの花などの典型的なモチーフと規格化され商業的になり面白みのなくなってしまったデザインのレースが好まれる傾向にあると私は感じます。
このような初期のレースに少しでも興味をもっていただければうれしく思います。
その4につづく