レース ー はじまりの物語 ー
私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。
レースの歴史のはじまり
ー はじまりは歴史の彼方に
「レース作りのはじまりがいつだったのか?」
それって、実ははっきりとはわかっていないのです。「それじゃ、話しは終わりじゃん。」ってなるのですが、しかし…
レースは定義する内容によりレース自体に対する考え方は流動的で、レースの種類が多様で豊富であるようにレースのはじまりの考え方も様々で、それはそれでレースを興味深いものにしているとは思うんですね。
ミラノのポルディ・ペツォーリ美術館のエジプト・コプト期( 4世紀ごろから11世紀ごろ )の墓から見つかったレース状の頭巾や、10~14世紀頃にペルー中部海岸のチャンカイ川流域を中心に栄えた半農半漁のチャンカイ文化のレース状に作られた漁網などなど。
「あれ、これレースではないの?」という謎に包まれた奥ゆかしい品々がオーパーツのように世の中には存在しているので、「これですよ。」とはハッキリとは言わせてくれないのです。
奈良の唐招提寺にもササーン朝もしくは唐朝で作られたとされているレースらしきものがあるんですね。これは鑑真和上が日本に招来された時にはるばる唐から携えてきたものなのです。このレース状の染織品は仏舎利を納めた白瑠璃( ガラス )製の壺を覆うためのものでした。
ありがたい御釈迦様のご遺骨をガラスの壺に納めたのは、それが人々に見えてこそ御釈迦様のご遺徳をあまねく知らしめす意味があるね。「ならばその仏舎利器を覆う布も透け感がないとね。」ってなったそうなんですね。そのために中が透ける「レース的なものが覆い布に選ばれた。」という考察を守田公夫氏がされていて面白いんです。
このような状況なので、これが【 はじまり 】っていうものは断言できないんですね。それにコプト期やササーン朝、まして南米の技術がヨーロッパに伝わった?というのも証明できないですし、原始的な手芸が人類の文明が育まれた揺籃期から生み出されたことは想像に難くないことだと思うんです。
では、「私たちがレースの本場?」と思うヨーロッパではいつ頃からレースって作られはじめたのでしょうか。
ヨーロッパのレース作り
ー 肖像画とレース
中世の衣服はほとんど残されていない上に、ルネサンス初期のものも織物の断片などに限られて完全な形で残った衣服なんてないんですよね。私たちはこの時代の残された服飾文化財から知ることができる内容は多くはないのです。
しかし人文主義がめちゃくちゃ盛り上がったルネサンス期は、リアリティを追求した肖像画の登場でかろうじて絵画から当時の服装やその織物・装飾をイメージすることができますよね。
ルネサンス期の末期、16世紀の半ばになると絵画のほかにも実際の染織品の断片などとして刺繍と併用されるかたちで、【 ドロンワーク 】や【 カットワーク 】の技法が見られるようになるんですね。ドロンワークやカットワークは「針」と「糸」を使った、あくまでも刺繍【 ニードルポイント 】の一種なんですよね。
1540年ごろから1560年ごろにかけては、それはとても小さなパートで襟や袖口などの一部にほどこされた控えめなものでした。しかし、当時の人々にとっては「透かし柄」はとても新鮮でファッショナブルなものに映ったようです。
ドロンワークはイタリア語で【 プント・ティラート 】( punto tirato )、フランス語では【 ポワン・ティレ 】( point tiré )。カットワークは【 プント・タリアート 】( punto tagliato )、【 ポワン・クペ 】( point coupé )と呼ぶのですが、この呼び名はアンティークレースの世界でよく見かける名前なので覚えておいてくださいね。
刺繍の技術を応用した「レースのたまご」たちをご覧いただいたところで、飾り紐の【 ブレード 】を編む技術を基にしたボビンレースの話しに移ろうと思います。
ルネサンス期には金糸や銀糸、色糸を使った飾り紐が衣服の装飾で人気でした。この飾り紐の技術はやがて「ボビンレース」を生むことになったんですね。
こちらも16世紀には原始的な技法で作る単純なデザインのものが、【 ブレード 】の技術を発展させながら試行錯誤されたようです。
レースをお好きな方なら思いますよね。
「なんだこれ?トーションレースじゃないの?」って。
まさにトーションレースはこの「ブレード」の基本である組紐作りと同じ技法を機械化したものなのです。
主に「インサーション」と呼ばれる嵌め込み用に作られたストレートなものと、縁取り用のスカラップのものがあります。このような簡単な装飾用のボビンレースを総じて【 パスマン 】と呼んでいます。これはフランス語なのですが「縁取り」を意味しているんですね。
ー 「レースのたまご」
この「レースのたまご」たち。16世紀に作られた「本物のアンティーク?」を探し出すのは本当に至難の業なんです。これがなかなか見つからないし、あまりに原始的な技法なので20世紀に至るまで模造品( 贋作ではなくてあくまでも古いデザインに対するリスペクト )が大量に作られているんですね。
拡大鏡で糸の繊維を拡大して手紡ぎなのかを調べたり、顕微鏡のミクロの繊維の世界まで到達しないとこの判別は非常に難しいのです。
私も16世紀中期の簡単な【 パスマン 】はひとつしか所有していないんです。本当に無くて、というよりも地味で単純なレースだから市場に出ません。
それくらい簡単なレースだから、これが上流階級の女性たちの「趣味の手芸」として大流行するんですね。気軽に取り入れられるし道具も「クッション」と「糸巻き」と「ピン」さえあればレース作りができる!これは面白いと、当時の優雅に暇を持て余す貴族や富裕層の女性たちに大人気。しかし、「ボビンレースには図案も必要ですよね?」
はい、出ました。いつの時代にもいらっしゃる「商売上手な」方たち。
レースのブームが到来して間もない1557年、ヴェネツィアで出版業を営む一族のジョヴァンニ=バッティスタ・セッサとマルシオ・セッサが、【 パスマン 】製作のための図案集『 Le Pompe : Opera Nova 』( レ・ポンペ:新しい作品集 )を出版するんですね。
レースの源流を辿ると絵画や残されている染織品の断片などから、結局はこの16世紀あたりに行き着きます。だとしても、これより以前には果たして存在しなかったのでしょうか?
ルネサンス以前の時代、中世を通して刺繍の技術があったことは確認されているんですね。飾り紐も存在した可能性があります。古代エジプトやギリシャ、ローマにもあったかもしれません。メソポタミアにもあったのかもしれません。しかし、それらが直接的にヨーロッパのレース作りの源流になったとは考えられません。
東ローマ帝国では高い染織技術があったことはモザイク画などから判明しています。イスラム文化圏でも同様に染織品の高い技術を誇ったことがわかっています。
これは仮説で一次資料で確認されているわけではありませんが、レースの発展の流れを見たときに東ローマ帝国やイスラム文化圏からバルカン半島に流入した様々な手芸技術があったのは確かです。
手芸技術はバルカン半島からダルマティアなどを経由して、アドリア海やエーゲ海の海上貿易とともにクレタ島やヴェネツィアなどへ拡まったルートがあったんですね。そのなかで刺繍から派生した「レースのたまご」や飾り紐から派生した「レースのたまご」がヨーロッパで急速に発達したのが16世紀だったわけです。
こんなに小さくて簡単な「レースのたまご」たちは、半世紀ほどで一人前にもレースらしさを纏いだした「レースの赤ちゃん」へと成長するのです。そして僅か一世紀ほどを経て最も高度に発達して、精緻を極め技術の粋を集めた「おレース様」へと変貌を遂げるのです。
長くなりましたので、そのあたりのお話しはまたの機会にさせていただきますね。お読みいただきありがとうございました。