見出し画像

未来をつくる力 -工学・理学・社会貢献について-


 大学生時代、『未来をつくる力』=『発想力』と答えました。


 20歳で母校工学部に編入後すぐ、ノーベル化学賞受賞者の野依良治先生とお話しする機会をいただきました。未来のノーベル賞受賞を夢見るじゃがいも人間だったわたしは、都会に用意されたチャンスに驚くと共に、座談会への出席が決まった瞬間から、家族という家族、友人という友人に言いふらしました。


座談会のテーマは、『未来をつくる力』。野依先生とのまたとない機会を前に、幾許かの準備をして臨みました。

 まず、野依先生について知るべく、ネット検索を行いました。助手時代は『鬼軍曹』と呼ばれるほど、自他に対して厳しい先生だったということ。日本の科学の最高機関の一つである理化学研究所の理事長を、長期に渡り務められていたこと。名古屋大学に拠点を持ち、次世代の研究者の育成・環境醸成に力を入れられていること。
 印象というのは恐ろしいもので、ネット調査後は『鬼軍曹』の言葉がわたしの脳裏に激しくこびりつき、先生の写真を拝見する度に胸が高鳴りました。

 また、自分なりの考えを持って対談に挑むために、『未来をつくる力』とは何か、考えました。どれだけの時間を使ったか定かではありませんが、冒頭に述べた通り、最終的に辿り着いた答えが『発想力』です。書き加えるならば、単に発想力といっても、当時のわたしは極めて工学部的で、実用性に偏った思考を備えてました。


 研究成果は時の運。いろんなふるいを抜けに抜けて、その都度いろんなものをおいていった優秀な方々の中で、成果をだすのは一握り。他業のアーティストと同様、生きている間は世間に相手にされず、死んだ後に掌を返されることも多い。
 そんな環境の中、時の流れを見極めて、自分が生存しているであろう間の、少し先の未来に求められているものを発想する力が、(自分にとって)よりよい未来をつくる力だと結論づけました。

 このような考えに至った背景は、わたしの夢であったノーベル賞の受賞資格にあります。すなわち、特定の分野で人類に貢献した”存命の”方に贈られる賞であるということ。つまり、どれだけ後世に残る仕事を成し遂げても、生きている間に社会に貢献できなければ、受賞はない。ならば、生きている間に世の中に認められることが最重要であると考えたのです。


 ノーベル賞にこだわる理由。正直に申し上げるのであれば、好きな科学を追究して、地位と名誉を得てチヤホヤされてみたかったからです。
 ノーベル賞を受賞した暁には、きっと、地元の交差点にはわたしの名前が書かれた横断幕がかけられ、母校にはわたしの名前が書かれた垂れ幕がかけられ、わたしの名前が東山区域 (東や”マク”域)に轟く。そんな妄想をしながら、大人になったばかりの元子供は、右肩上がりの自分の将来に胸を高鳴らせておりました。


 座談会当日。わたしの唯一にして最大の防具である”若さ”を盾に、玉砕覚悟で鬼軍曹へ本音を伝えました。

「野依先生は次世代を思うことが重要と語っておられますが、今のわたしは自分のことで精一杯です。わたしが死んだあとの世界のことは全く考えられない。ゆえに、未来をつくる力とは、時流を読んだ上での発想力のことではないかと思うのですが、いかがでしょうか。」

 元鬼軍曹は、5回りも下の小坊主に、優しく、そして力強く語りかけてくださいました。

「わたしも若い頃はそうだった。自己実現に向かって、そのまま進んだらいい。いろいろ経験した今、未来をつくるために重要なことは、DNAと文化の伝承だと考えている。」


 “セレンディピティ (Serendipity)”という言葉があります。偶然がもたらす幸運を指し、多くの科学者が座右の銘に加えている言葉です。野依先生も、ご自身のことを『セレンディピティ信者』だと表現されました。同時に、「発見は設計できない。合理性では辿り着けない。」とも話されました。

 座談会の半年後に、母校の研究発表会に参加しました。その発表会は、各学部から1名ずつ、最先端の研究を発表する機会で、総長を始め、たくさんのお偉方が聴講されてました。21歳を迎えて芽が出た気になってたわたしは、講堂の真ん中の列、前から三分の二の行にあたる席から、理学研究科の助教の先生の発表に対して、睨みを効かせておりました。
 専門外かつ曖昧な記憶を頼りに説明させていただくと、先生は蛇の足が何故無くなったかを研究していらっしゃったようです。トカゲにある足が、何故蛇にはないのか。わたしは不思議に思ったことがなかった。
 発表を聞いていると、あの滑らかな蛇にも骨があり、頭から順々に、人間の胸椎と肋骨のような骨が連なっているとのこと (ここは曖昧です、すみません)。そして、その骨の何番目かに、足があった跡があるらしいのです!ちょうど、人間の尾骨みたいに (例えが合ってるのか、わかりません)。


 わたしは、思いました。
なぜ蛇の足の研究をするんだろう?
何の意味があるんだろう?
何の役に立つんだろう?
 わたしは、個人的に、蛇が苦手です。何となく怖くて、何となく気持ち悪さも感じます。理学部の助教の先生は、遺伝子編集技術など数々の生物学的手法を用いて、足の跡を別の骨に移したりして、たくさんの蛇を生贄に捧げて、研究をしていらっしゃるそうです。
 わたしは、後ろから三分の一の行にあたる席から、手を挙げそうになりました。「その研究に、何の意味があるんですか?」と聞こうと思いました。でも、挙げなかった。



 母校の理念は「勇気ある知識人を育てる」です。大学院修士課程を卒業して振り返ると、勇気はあんまり育ってないけど、知識は増えた気がします。また、プロのみている世界は、素人が見ている世界とは全く違うんじゃないかなと思います。子供が見てる世界と、大人が見てる世界も、違うんじゃないかなと思います。絶対に、そうです。


脈々と続く文化とたゆまぬ努力が時代の求めるものと整合した時に、成功の幸せが訪れる。

野依良治先生

 だとすれば、いまのわたしにできることは、何なのでしょうか。文化を重んじて、努力を重ねること。

 座談会当時は、心の底から自分が死んだあとの世界のことは考えられなくて、清々しいほどに自己中心的な考えを持っていました。7.5年後の今は、なんだか、未来を見据えた考えに変わろうとしているように思います。時代が異なる、空間が異なる、時間が異なる人に影響を与えられる感動を、自然科学で感じることはあまりできなかったけど、社会にでてから、哲学・文学で経験したから。
 海外で文化の違いに触れられた。愛しい甥や従甥、従姪も産まれた。多くのわたしを慕ってくれる友人や、簡単には慕ってくれない友人にも出会えた。良書にも出会えた。わたしにとっては極端な思想、例えば『反出生主義』を主張する方々にも出会えた。複数の宗教・ビジネス・アーティストに触れて、まだまだ道半ばではあるが、自分の思想や価値観を磨くことができた。それぞれの人生を眺めることができた。


 「年をとって、ヒトとして人類のことを考える時が来る。」
 当時78歳の野依先生に教えていただいた時期は、相当先に思えましたが、案外早くに感じれるのかもしれません。

『未来をつくる力』=『発想力 (脳を使う)』+『社会貢献 (心を遣う)』

蝋田


 とはいえ、希望する自己実現はまだまだある。
・絵本の執筆
・薬の開発

 昔の自分に似た、未来の大切な方々に届けるために。

 おもしろかったか?君たちに会えて幸せ。ありがとう。

2017/5/26 page 1, 2
2017/5/26 page 3, 4
2017/5/26 page 5, 6


いいなと思ったら応援しよう!