完璧な収納から離れる
便利で美しい収納やインテリアや片付けられた美しい部屋を見るのが好きです。そしてそれをお手本に自分の生活に取り入れていく事を楽しみに生きてきました。
でもここ数年、整然として完璧な収納術って本当に私に必要なの?と感じるようになってきました。
いやそもそもそんなに完璧な収納術自体、
体得してないクセにエラそうに言える事でもないんですけどね(汗
棚と言う棚に同じ顔した能面のように白い揃いの収納ボックスがズラリと並び、引き出しという引き出しにはシンデレラフィットを探し求めて三千里、気持ちいいくらいに仕切りに仕切られた物物が鎮座しており、
家のありとあらゆるものにはそれぞれ居場所があって
テプラで「キミはここだよ」という目印まである。
そんな世界に凄く憧れて、近づきたくて、頑張った日々もあったんです。
(あ、上に書いた理想図は決してディスってるわけではありません…
めっちゃくちゃスゴく本当にで憧れ続けた世界でした。。涙)
でも完璧な収納って、
できたら終わりじゃなくて、そこからがスタートなんですよね。
例えば10年も経てば古くささや劣化も出てくるし、見直しも必要になってくる。大体、そんな年月も要さないうちにそれを維持する努力自体が日々の生活に重荷のようにのしかかって来たりもする。
私の場合、40代に入ってから、ちょっとした事で体調が不安定になったり、体力のなさを感じたり、日々食事を作ったり仕事したり掃除したりの日常だけでも疲れ果て、疲れ果ててるのに眠れなかったり、何かに追い詰められるように何もかもが精一杯になってくる日が増えてくるように。。
そうすると綺麗に揃えたキチキチのぴっちりした収納方法や
部屋の片付けルーティンが自分の首を絞めてきたりする。
自己満足という呪いにかかっているのではという錯覚さえ起きてくる。
それに気づいた今、私は完璧にしすぎない、ゆるみを許した
無理のない収納と片付けを模索するようになってきました。
今は見栄えが良くても
今は素敵でも
今だけがいいんじゃない?
と立ち止まる。
まだ模索途中なのでね、
これという何かはご紹介できないのが心苦しですが、
一つ言えるのはその方法や物は果たして10年後の自分も使える?と聞く事。それにうなずけるものを大切にしたいなって思っています。
そう考えると、
便利!素敵!と思って即飛びついて収納アイテムやグッズを
買い増やす事が結構減りました。
熟考することによって少し俯瞰できているんですかね、
便利だけど長持ちしなさそう
汚れたら終わりだな
デザインが奇抜すぎて飽きちゃいそう…等々、
別の視点が生まれて立ち止まれるようになりました。
そうそう、洗剤とか派手なパッケージの入れ物を
シンプルで統一されたトーンの別容器に移し替えたり…みたいなことは
しなくなりましたね。
手間が惜しい。
時間も惜しい。
それより何よりやる気を失うのが惜しい。
もう見た目いいじゃん!そのままで!!
を自分に許してみたらあっという間に慣れました笑
こういったゆるさを許してないのは自分自身だったりするので、
もっと自分を許してゆるさを追い求める、それを推進していきたいな
と思っています。
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