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「ほめてもらいたい」気持ちの手放し方。〜自分に花丸をつけよう〜
ほめてもらえなくて辛いのはどうして?
「誰かにほめてもらいたい」
誰もが思うことだと思います。
「自分を見て欲しい」「自分をほめて欲しい」「自分を賞賛してほしい」という気持ちは自然なものです。
子どもの時は、家族や先生がたくさんほめてくれました。
しかし、大人になると滅多にほめてくれる人はいませんね。
「これだけ頑張っているんだから、誰かほめてくれたっていいのに」
と私自身も、過去に何度も感じてきました。
しかし、「人からほめてもらいたい」と思うということは、
それだけ、自分が何かを犠牲にして、我慢して頑張っている状態なのかもしれません。
今から思い返すと、ほめてもらいたいと憤りを感じる時は、自分が本当にやりたい事ではないことをしていました。
世間の常識だから「やらなければならない」と自分が勝手に思い込んでいただけだったのです。
「やらなければならない」を少しずつ手放そう
普段私たちが、「やらなければならない」と思い込んでいるもの。
これをしたら、ほめてもらえるかな?
そう感じるものは、少しづつ断捨離できないでしょうか。
代わりに、自分が好きなことや、ワクワクすることを一つでもやってみましょう。
自分がワクワクすることに向かって、自分で目標を立てて、達成できたら嬉しくてまたやりたくなる。
達成できなかったら、悔しくて、もう一度チャレンジしたくなる。
そんなシンプルなサイクルができると、良いですね。
このサイクルの中には、「人からほめられる」という項目はなく、人に期待しなくていいので心がずっと楽になりますよ。
そのためには、「自分にはできる」という自己効用感がとても大切です。
自己効用感を育てる大切さ
子どもたちが幼稚園に通っていた頃の話です。
その園の園長先生は、朝の登園時や降園時には、いつも竹箒で園庭をきれいに整備されていました。
麦わら帽子をかぶり、作業着を着て、長靴をはいて、にこにこと笑顔で子どもたちを見守りながらの作業です。
おかげで、幼稚園の始まりと終わりの園庭はいつもきれいに整地されていました。
夕暮れの園庭に広がる、竹箒で引かれたまっすぐな線はとても美しいものです。
その園長先生は、挨拶をすると必ず花丸をくれる先生でした。
「園長先生さようなら」と子どもたちが挨拶をすると、
「お!〇〇さん、さようなら。花丸!」と、お腹の底からの大きな声で元気よくほめてくれます。
初めは照れくさそうにもじもじと、小さな声で挨拶をしていた子ども達です。それでも、挨拶をするといつも花丸がもらえるので、子ども達は嬉しくなり、挨拶が大好きになりました。
そして、ほめられる度に園長先生から元気パワーをもらい、日に日に元気な声で挨拶ができるようになりました。
園長先生のことも、もちろん大好きになりました。
自分はできるという自己効用感、そして挨拶は気持ちいいということ。
そんな大切なことを、子ども達は園長先生から教わりました。
そして、親である私も、子どもをありのままに受け止めて認めてあげることや、子ども達の少しの勇気をしっかりほめてあげることを教わりました。
もう子どもたちは卒園してしまいましたが、今でもいい事をした際は、
「〇〇ちゃん花丸!」
と家族でほめ合っています。
自分の大きな花丸をつけてあげよう
自分がワクワクすることを、少しずつチャレンジ。
そして、少しでもできたら、小さなことでも構いません。自分ができたことに対して、大きな花丸を自分でつけてあげてくださいね。
そうすると、自分の内側から自然とパワーが溢れてきて、自分の進みたい方向へぐんぐん進むことができます。
人生の生き方は、大人になったからこそ、より気持ちいいものでありたいです。
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