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「反共攻撃」ってなんだろう?

こんにちは、哀しき春です。
しばらくは忙しく投稿ができなかったのですが、忙しさ以上にX(Twitter)で脅迫まがいの事をされて怖気付いたというのも大きいです。(ここには相手のことを考えて掲載はしませんが、詳しくは私のXで調べてみてください)

あの投稿を見た時「仮に党員でもない人がなぜ私の党生活の事を知っているのだろうか?」と党内情報の管理の疑問が湧きましたが(それはまた踏み込んだ話をしますね)、それよりも「反共主義」や「反共攻撃だ」と言われる方が私としては堪えました。

───組織としての「反共攻撃」の定義


私が在籍していた時、「反共攻撃」の歴史を知る学習をした覚えがあります。
先輩党員がよくいっていたのは1989年の「天安門事件」に準えて、保守派の人々が「共産党の選挙カーは戦車と思え」という中傷やビラをまいた(反共ビラ)という話でした。

これに関しては間違いなく、「反共攻撃」であったと思います。

なぜならその年は国政選挙もありましたし、保守層(与党)が共産党の議席を減らすために行ったネガティブキャンペーンであるからです。実際、その攻撃もあってか第15回参議院議員通常選挙では17議席から14議席へと減らす結果となりました。

中国と日本共産党の関係は様々な意見もありますが、中国共産党の人権抑圧などは断固として声を上げてきたのは事実です。

この件は党の名誉を守りたいと思います。
共産党は天安門事件に猛抗議していました。

以上の点から私が考える反共攻撃の定義は、

・政権側が行った大規模なネガキャンであること(個人の意見や批判ではなく)
・党が行ってきた事を歪曲化し、時にはデマを流す
・国政などの選挙に影響が出た

この3点であると思います。
ところが

───これ「反共攻撃」なの?

私が覚えている中で「これ反共攻撃なの?」と疑問を抱いたのは、2016年の「熊本震災被害への党募金」を巡る騒動です。

詳しく知らない方のために簡単に説明しますと、熊本地震へ党は救援募金をよびかけたところ、ある候補者が「熊本の被災地救援、北海道5区補選支援、党躍進のためにありがたく使わせていただきます」とSNSに投稿してしまったのです。
この投稿に対して被災地募金なのに党の政治資金を集めているのではないかと疑念や批判の声が相次ぎ、さらには選挙募金と救済募金の募金袋が同一であったために瞬く間に炎上しました

私が思うに、共産党は貰った募金はしっかり公的機関へ渡しているはずですし、あれは某衆院候補の「誤解を招く」募金の名目・投稿であったと考えています。もちろん、本人も党も誤解を招いたと謝罪しました。
ただこの一件で「災害を利用した党活動費集め」というレッテルと疑惑が後々ついて回ったのは言うまでもありません。事実、今年の能登半島地震の募金でもこの熊本の一件が尾びれを引いて、SNSでは批判する声が多くありました。ただ私の見方として一部の人は「反共攻撃」的なニュアンスで批判していると考えています。

しかし、「募金口座は分けた方がいいよ」とか「党を経由せず、赤十字などへ送金をお願いした方がいい」などの善意ある意見に対して一部の支持者っぽいアカウントが「なんでそんな反共的な事を言うんだ」「あの募金デマは反共攻撃だよ」と攻撃するような反論を見受けるようになりました。

これには私は「おや?」と思うわけです。

話は熊本震災の頃に戻りますが、実はあの募金騒動の話をするのは党中央ではタブーでした。
当時、それを話そうものなら睨まれたり、「批判的な意見を聞くな」と言う空気が流れておりましたし「おおまかなネットの意見は反共攻撃だ」としていたからです。
私は「反共攻撃なら仕方ない」と思いながらも「誤解を招くような事をしたのは真摯に反省し、様々な意見を取り入れても良いのでは」と複雑な心境でした。
この引っかかる気持ちはこの頃から生まれたのかもしれません。

───拡大解釈される「反共攻撃」

このモヤモヤはどんどん広がっていきました。事あるごとに紙面では反共攻撃に負けない、とか反共攻撃を跳ね返そうと見出しが軒を連ね、ネットでも反共だと一方的に決めつけてしまうような言動が見受けられてきたからです。例えば委員長の任期が長すぎると言う意見に関しても「反共の意見だから聞くな」と言われ、疑問に思う市民と建設的な対話ができなかったのは事実ですし(産経さんの記事を使わせていただきます)

https://www.sankei.com/article/20230624-OZR2JWDRRROKRJOSQETWFQTQCY/

思えばどうもここ数年、いや私が入る頃から「反共攻撃」と言う物は理論的ではなくレッテルとして使われてきた感が強くなっている気がしました。
しかし組織内にいると先輩や委員長が言っているからこれは正しい、権力側の攻撃だと思う反面、「本当にすべて反共攻撃なのか?」と心の内で葛藤することもありました。

そして私が組織に大きな不信感を抱くようになったのは、朝日新聞のコラムに対する反共認定でした。

これには私も「この反共認定は間違っている」と確信したのでした。

これは松竹伸幸氏への除名処分に対する朝日新聞のコラムで、除名処分に対する疑問や民主集中制を批判する内容でした。あの除名処分ですが、いまでも多くの意見が寄せられ、様々な議論が飛び交っていますね。
確かに党員でない一般の人から見れば「共産党は自由に意見を言ってはいけないのか」など疑問に思うのは当たり前ですし、私もあの処分に関して言えばしっかりとした議論はなされていないし、安易に決めてしまったと思います。
同氏への処分は賛成にしろ反対にしろ、多くの声が出たわけですし共産党はこのコラムや市民に関してちゃんとした説明をすべきでした。

ところが、それも無くいきなり「朝日は反共」と認定し議論の余地をなくそうとしてしまったわけです。しかも、

異論封殺と描く記述に終始するなど、事実の歪曲(わいきょく)を無反省に続けて───
日本の大手マスコミには戦前、“反共主義の呪縛”にとらわれて日本共産党を「国賊・非国民」と扱う一方、軍国主義に迎合し、国民を誤導して戦争に駆り立てた痛苦の教訓があるはずです───

と強い言葉で批判しています。まるで「うちの処分にケチをつけるな、この意見は反共反共」と耳をふさぎ、対話そのものを否定しているように捉えられても仕方ありません。これが果たして民主的な組織なのでしょうか?
この他にも中北浩爾氏の反論掲載を拒否するなど23年から現在に至るまで強固な姿勢を示していると感じています。

───反共レッテルは対話を無くす

反共攻撃と言われ続けた意見の中にはまともな意見もあったはずです。
しかし最近の共産党は一辺倒に反共扱いする傾向が日に日に強くなっている気がします。そして私が思うに、この意固地な姿勢が今日までの市民が持つ共産党のイメージ「反対ばかり」「自由がない」という誤解を助長しているのではないかと思います。

もちろん地方の党員は話も聞き、保守革新問わず連帯の輪を広げているのを忘れてはいけません。

党中央・常任幹部が意固地なだけなのです。

もし、民主的な組織でありたいのであれば多種多様な意見に耳を傾けて吸収していく必要があると私は強く思います。それこそ「真の民主集中制」であり、開かれる党にしていく重要なプロセスだと強く言い、この文の終わりにさせていただきます。

駄文失礼致しました。また一読くだされば幸いです。

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