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どこかの街にいる、だれかを思うこと 

フランス語を学ぶ大学2年生だったとき、初めてフランスへ一人で渡り、1か月地方の農村で住み込みのボランティアをしたことがあった。
その1か月自体もとても濃密ではあったけど、それを凌駕する記憶となったのは、帰りのシャルルドゴール空港でホットチョコレートを飲んでいた時のことだった。

ぎっしりと詰まった重たいバックパックを預け、保安検査場を通過し、あとは搭乗案内を待つのみ。
お金のない学生だけど、無事にフランス滞在を終えようとしている充実感と感傷的な気持ちが相まって、空港価格の高価なホットチョコレートを飲むことにした。

バーカウンターのようなデザインの洒落たカフェで、ちびちびホットチョコレートを啜りながら、1か月のボランティア生活の日々を反芻していたとき、不意に後ろから「あのー、すみません。日本人ですか?」と日本語で声をかけられた。
振り返ると、日本人らしからぬ、日に焼けた彫りの深い顔立ちの男性が、5、6人を引き連れて連れ立っている。

え、ここまだフランスだよね?
なぜ日本語?
っていうか日本人?誰?
何かのセールス?勧誘?犯罪?
そもそも何語で返事すべき?

曲がりなりにも当時はまだ10代の女性且つこちらは一人。

たくさんの疑問が一瞬のうちにわきあがり、自分の顔がこわばったことを自覚しながらも、まっすぐに私を見つめ直球でぶつけられたシンプルな質問に、「あ、はい…」と間の抜けた日本語で答えた。
すると男性はほっとした顔になり、言葉を続けた。
「あの、わたしたち、空港でタバコ吸える場所を探してて、エレベーターがあったから乗ったらここについたんです。ここはどこですか?」と言う。

ん?と思った。

カウンターでチェックインしてから出国審査をしてここに着くまではそれなりに移動したが、エレベーターには乗らなかった。
確かに空港の“外側”ではエレベーターに乗ったけれど。

「航空券持っていますか?どこか別の国へ行くのですか?」と聞くと、首を振る。
単純に喫煙場所を探して彷徨っていて(うろ覚えの記憶では『駐車場にいて』と言っていたような気もするのだが、何しろ私も戸惑っていたので定かではない)業務用のエレベーターか何かで、ここに着いてしまったようなのだ。

「ここは飛行機に乗る前のエリアです」

私がそう伝えると、男性が驚いた顔をした。そして、連れ立った仲間たちを振り返ると、別の言語でわたしの言葉を訳したようだった。仲間たちにも明らかに動揺が広がったのが見てとれた。

聞くと、空港というのは本当に「空港」で、出国審査などを経ずに、この搭乗前の人しか入れないはずの場所に来てしまったと言う。
そして、彼らは日系ブラジル人で、ポルトガル語のほかは簡単な日本語しか話せない。英語もフランス語も分からず、誰にどうやって聞いたらいいのか途方に暮れてウロウロしていたときに、日本人である私に気づいて声をかけたと言うのだ。

そのあと私は、飲みかけのホットチョコレートをそのままに、彼らと共に空港の職員を探した。
と同時に脳内はフル回転で、どうしたら彼らの状況をきちんとフランス語で説明できるのか(だって変な伝え方をしたら犯罪性を疑われかねない)、仏語学習歴2年未満の拙いボキャブラリーで考えた。

けっきょく出国審査の窓口近辺まで戻り、フランス語で事情を説明し、彼らを空港職員に引き渡した。
「ありがとう」と言われた記憶は朧げにあるが、あまりにも突然起こったことで、現実味もなかったので、なんだかふわふわとしていた。
そして、まだSNSもスマホもない時代、彼らがその後無事に元いた場所に戻れたのかも、名前すらわからぬままだった。

どうか無事であって欲しい。
後ろ髪を引かれる思いで、わたしは飛行機に乗り込み、帰国の途についた。

喫煙スペースを探していた一般人が免税エリアに迷い込むなど、さすが杜撰なフランス…!と、正直面白かったのも覚えている。だって、彼らは映画「ターミナル」のトム・ハンスクのように彷徨うことを余儀なくされたかもしれないのだ。


生きていると、こういう、不意に“ひとの人生に交錯する瞬間”に立ち合うことは度々ある。
この経験は、言語や国家といった、私たちが無意識に帰属している「システム」を実感するものだった。
同時に、その「システム」というのはあくまでもその人を形作る要素の一つに過ぎず、言葉や国家を超え、ひとは結局ただの人間なのだ、ということも。

何をそんな大袈裟な、と思うかもしれない。

でも、あの日系ブラジル人たちも、ただ単に「タバコが吸いたかった」だけなのだ。
なぜフランスにいたのか、なぜ空港にいたのか、それは分からない。
でも、「自分たちが入ってはいけないはずのエリアに入ってしまった」と知った時の男性たちの、驚きと不安と心細さの入り混じった顔は、少なくともクニとかコトバとか関係なく、システムに翻弄される、ただの人間のものだった。

わたしは帰国して、一層、英語とフランス語を始めとした外国語の習得に励むようになった。
英語、フランス語、スペイン語、カタルーニャ語、イタリア語、ドイツ語、朝鮮語、ベンガル語。
(いま思うと、中国語とアラビア語もやっておけばよかった!!!)

クニやコトバから自由になって、人間として、世界の人と話し理解し合えるようになりたい、と思ったから。そのために、もっともっと、言葉を自由に使えるようになりたいと考えたのだ。

シャルルドゴール空港で出会った日系ブラジル人の彼らは、元気にしているかな。いまどこにいるのかな。彼らはあのときのことを覚えているかな。

私にとって、旅先や街角で出会った人の顔を思い浮かべることは、自分がこの世界の一員であることを実感する行為だ。
今この瞬間も、日本もしくはどこかの国の街角で、誰かが交通事故にあっているかもしれない。爆撃の恐怖から逃れようとしているかもしれない。美味しいものを大好きなひとと味わっている人もいれば、温暖化を憂えている人もいるだろう。

そんな混沌とした世界で、私たちは今日も生きている。

どこかの街の誰かを思うことで、わたしは今日も、「この世界の一員である」と感じながら生きる。

#未来のためにできること

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