会議で発言しない人の価値はゼロ?いや、むしろ発言しないほうがいい。
ロッシーです。
「会議で発言をしない人は存在意義がない!」
よく言われることですよね。
会議では「沈黙は金」ではなく、どんな意見であってもいいから自分なりに何かを言ったほうがマシだということです。
"Better than nothing."ですね。
私も基本的にはその考え方に賛成です。
でも「常にそうか?」と聞かれたら、「必ずしもそうではない」と答えるでしょう。
まともな会議では自然と発言する
「発言をしない」=「存在価値がない」
が成立する会議は、きちんと目的やアジェンダが決まっており、参加者も適切な人数におさえられ、適正なメンバーが選定されていることが大前提です。
そのような会議は、参加者が全員その会議の目的や必要性を理解しており、自然と発言するようになりますし、お互いに意見を求められる状況になります。
つまり「発言をしない」で沈黙を保ったまま傍観していられる状況にはならないはずなのです。
だから、何も発言をしないことは基本的にあり得ませんし、もし発言をしなかったら、その人の存在価値はまさにゼロだといっても過言ではないでしょう。
ダメ会議が横行する日本
でも、ほとんどの日本における会議は、前述のような「きちんとした会議」ではありません。
・何の目的かもよく分からないままにとりあえず招集され、
・アジェンダも何も事前に連絡がなく、
・招集されるメンバーもむやみやたらと人数が多く、明らかに必要がなさそうな人が、とりあえず呼ばれている。
そんな「ダメ会議」が横行しているのが現状です。
会議自体の価値がゼロ
そんな会議は、そもそも「その会議自体に存在意義がない」のです。
存在意義がない会議において、「発言をする」ことは、本当に価値があることなのでしょうか?
「会議で発言しない人の価値はゼロ」と思われるのが嫌だから、とりあえず何か発言しようと思って無駄に「爪痕を残そうとする」ことに果たして意味はあるのでしょうか?
つまり、ダメな会議においては、発言するとかしないとかは、もはやどうでも良いことなのです。
「戦略の失敗を戦術でカバーすることはできない」と言いますが、それと同様に、ダメ会議を主催した時点で戦略上失敗なのです。いくら発言が活発になって戦術上成功したと思っても、失敗は失敗です。
まともな会議を開け
だから、まず大事なのは「まともな会議を開く」ことです。
参加者の人数と質、アジェンダ設定など事前準備にもっと力を注ぐべきです。それをせずに、行き当たりばったりで会議を開けばまともな会議にはなりません。
私もそういうダメ会議によく招集されますが、正直言ってそういう会議で発言しようと思いません。
「早く終わらないかな~」と思うだけです。
ダメ会議では、発言しないほうが良い
もっとラディカルに考えると、ダメ会議においては、
「会議で発言しない人の価値はメチャ高い」
といえるのではないでしょうか。
ダメ会議でみんなが発言をしてしまうと、ダメ会議であることの自覚が促進されません。
「なんか活発な意見がでたね!」みたいに、ダメ会議があたかも成功した会議のように認識されてしまう危険性があります。
だから、そういうダメ会議を撲滅するためにも、参加者が極力発言しないほうがいいのではないでしょうか。
そうすれば、まったく盛り上がらない会議が終わり、
「やっぱりあの会議はダメ会議だったな」
ということが参加者全員で共有できるのではないかと思うのです。
そして、そういうダメ会議を招集した主催者の評価も下がるので、今後の会議の開催について反省し、改善してくれることに期待できるかもしれません。
最後に
「会議で発言しない人の価値はゼロ」
そういうことをビジネス本で読んだからといって、それを鵜呑みにして発言しまくる人は要注意です。
常にケースバイケースで判断しないといけません。
何事にも適用できる原則などありません。
沈黙が金となる場面もあれば、沈黙がゴミになる場合もあるのです。
この記事だって読む人によっては金になるかもしれません(ならないか)。
Thank you for reading !
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