「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われてもねぇ…
ロッシーです。
某放送局の番組では、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」というお決まりのセリフがあります。
今の世の中、ボーっと生きているのは、ダメ人間なのでしょうか。
「ボーっと生きる」の定義
そもそも何をもって「ボーっとする」ことになるのでしょうか。
その定義があいまいですが、それを
「生産的な活動をしないこと」
だとしましょう。
だとすると、私なんか「ボーっと生きている」と言われても否定できませんね。
それほど生産的な活動をしているとは思えませんからね。
仕事 = 生産的な活動?
ん?
仕事をしているじゃないかって?
うーん。仕事をしていれば生産的なのでしょうか。
なんかそれも偏ったものの見方のような気がします。
仕事をすることが生産的だとしましょう。
ということは、仕事をしていない人達、例えば赤ちゃん、子供、学生、専業主婦、お年寄りは、生産的ではないということになります。
でも、本当にそうなのでしょうか。
もしそうだとすると、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とセリフは、お年寄りに対しては、
「年金暮らしとかしてないで、仕事しろよ!(そして税金納めろ)」
という意味になってしまいます。
某放送局の視聴者層は、そのほとんどが高齢者ですよね。
そんな人たちに、そのような発言をするのは、かなり危険だと思いますけどね。
仮に、仕事をすること = 生産的 だとしましょう。
でも、日本の労働生産性は、OECD加盟諸国で最下位グループですよ。しかもずっと。
そんな状態なのに、仕事 = 生産的 というのもちょっと恥ずかしいとは思いませんか?
別にボーっと生きたっていい
ボーっと生きたい人がいるなら、別にボーっと生きたらいいと思います。
自分の人生ですから、他人がとやかく言うことではありません。
ましてや、公共放送として言うべきことでもありません。
「チコちゃんという少女が勝手に言っていることだから大目に見てよ」ということなのでしょうか。
でも、それなら「ボーっと生きるのはどうかと思う」くらいにとどめたらよいと思います。「生きてんじゃねえよ!」という言い方は、マナーとしていかがなものかと思ってしまいますし、チコちゃんの親の顔が見てみたいと思ってしまいます。
ボーっと生きるのは贅沢
多くの人は、ボーっと生きたくても、現実的に無理だからボーっと生きることが難しいだけで、そうしたい人は結構いると思います。
だから、「ボーっと生きる」ことができる人というのは、ものすごく恵まれている贅沢な生き方をしているという見方だってできるわけです。
生産的な活動(これが何を指すのかも不明ですが)を沢山して、世の中にインパクトを与えたい!とかスティーブ・ジョブズみたいに世界を変えたい!と思う人はそうすればいいわけです。
ボーっと生きる自由を認めない社会なんて、生きづらいことこの上ないと思います。
最後に
某放送局は、受信料制度について、様々な反対意見が出ているにもかかわらず、時代に合わせて何も変えようとせず、相変わらず人海戦術で集金をしているわけです。
それこそ
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」
という言葉にふさわしいと思いますが、どうなんでしょうか。
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