書籍:『マイ・ロスト・シティー』 スコット・フィッツジェラルド/村上春樹 訳
今年読んだ本のことをすこし考えてみる時期になった。年の初めから数巻にわたる大長編ばかり読んできた気がするが、合間に読む中・短編集のほうがむしろ記憶に鮮やかなのが腹立たしいところ。
そのなかでも、とくにココロに残ったのがこの掌編集である。
フィッツジェラルドは、アメリカにおける “ロスト・ジェネレーション” の代表的作家とされているが、そもそも1920年代のアメリカを体感していないワタシにとっては、その世代感覚など理解しようもない。同じ “ロスジェネ” でもバブル後の日本の様子のほうならいろいろ感じてきたこともあるが...。
ようするに、派手な好景気に浮かれた時代があって、突然それが失われたあとの激しい喪失感に支配される世代のことだと、ワタシは勝手に(かつ安易に)理解している。
そう仮定するならば、時代の寵児と呼ばれた早逝の作家のこの作品集についても、自分なりにちゃんと味わえているのかも知れない。
手前勝手な思惑はここまでにして、
本作の日本語訳は村上春樹氏である。
村上春樹氏といえば、ワタシのような “和風ロスジェネ世代” にとっては、まさに「超明るい好景気→なにやら薄暗い不景気」またぎで世相を貫いてきた作家だという認識があるが(あくまで個人の所感です)、フィッツジェラルドほど景気凋落の前後でその作風に段差や乖離を生じたとは思われない。
そのどこか硬派で頑なな文体は、ワタシのような浅薄な享受者に時代を超えた一貫性という “真理の味” を与えてくれるものだけれど、同時に「オレは最初から人間の本質が理解できてるんだぞ」というキナ臭い傲慢さも舌下に残り、どうも好きになり切れない作家の代表格でもある。
そんなココロに親しくもなんともない作家の作品をなぜか今年は一所懸命読んだ。とっくに文庫化された『1Q84』を昨年末から遅読に鞭打って読み続け、案の定その示すところの意味にたどり着けないまま途方に暮れた果てに、ほんの息抜きのつもりで手を伸ばしたのが同作者が若い頃(30歳前後?)に日本語訳した本作だった。
最大の感想を直接的に述べると、早瀬のごとき静かな激しさに、ただただ巻き込まれるばかりの名訳書である。
もちろん原書の創造者であるフィッツジェラルドの功績がもっとも大きいことはたしかなのだろうが、それとは異次元の効用を若き日の村上春樹氏は醸し出していた。とにかくあの独特な、読み取る者を突き放すような硬い言い回しが、曖昧で混沌とした突然の世相変化に弄ばれる人々の顛末を日本語で再現する上で最高にハマっている。
それを感じ取ると同時に、ワタシがなぜ、わざわざ高校のクラスメートから借りた『ノルウェイの森』単行本上下巻(たしか緑と赤のクリスマス・カラーだった気がする)を上巻の途中で投げ出して「読んだよ!いい本だったね!」とか不必要なウソまでついて突き返したかという理由を思い出した。
『ノルウェイの森』は本当に興味深い作品だった。それでもその作品世界を手繰り歩くのをあきらめたのは「この本はきっと作者本人のことを理解しようとしなければ決着を得られないものなんだ」ということに本能で気づいてしまったから。
スコット・フィッツジェラルドと村上春樹氏の年齢的隔たりはほぼ半世紀。
村上春樹氏はフィッツジェラルドの時代を体感してはいない。8年ほどの年月をインターバルとして、彼らが同時にこの世にあった瞬間は存在しない。
その時空の隙間を埋めるほどの若き翻訳者の才能からワタシがこの『マイ・ロスト・シティー』から感取したことは、原作者フィッツジェラルド自身の本意とはきっとかけ離れていると思う。
それでも村上春樹氏からだいぶ遅れて生まれてきたワタシにまでその観念の衝撃波が届くのは、当時の村上春樹氏が、自分が存在しなかった時代の様子を描いたフィッツジェラルドのことを懸命に追い続けたゆえの結果ではないだろうか。
「原作者のことを知る」ということに意味があるのかどうかは、ワタシにはわからない。ただ、その文章の真意を探るためにはどうしても欠かせないプロセスのひとつだという気はする。
もちろん、他人のことなんて何もわからない。だからこそ、その解釈には翻訳者それぞれの色がつき、訳書は原書と別個の創作物として生まれ変わる。
いま思うこととして、この1920年代アメリカの世相とそれに翻弄される人々のありさまを厳しく描いたちいさな物語の数々は、半世紀以上を過ぎた日本のとある青年翻訳者の手によって、原作者が意図した以上の色を咲かせたのだとワタシはここに書き留めておく。そして世界中に翻訳されたこの名著のなかで、きっと最高のものではないかと感じている。
何年かして、機会があれば再読します。
よく知らない(あまり好きでもない)村上春樹氏のことばかり書いた。
それだけでは読書感想文にもならないので、ザッとあらすじぐらいは記しておこうと思ってたのだけれど、いまさらちょっと面倒くさくなった。とにかく読みやすい本なので、一篇ずつなら書店で立ち読みもできるはず。まさにこの状況下の人間社会には痛いほど伝わるものだと申し上げておきます。
刺さりますよ。