『the oneness of mankind』
Rosmarinus.blueのHPで書いた過去のブログを要点をまとめて加筆しました。Rosmarinus.blueでは『無自覚の処方箋』も伝えていきたいと思っているのです。
ハンナ・アーレントを知ってからというもの、アーレントの主張に度々共鳴します。これは私が今、一番お薦めしたい思想家ハンナ・アーレントの『ハンナ・アーレント入門』著者 杉浦敏子氏 の中から選びました。
P48よりさっくり纏めると、「複数性という人間の条件は、すなわち地上に生き世界に住まうのが単数の人ではなく、複数の人びとであるという事実。それこそ政治の必須条件である。」
*これは私がずっと頑固なまでに主張して譲らない『一人ひとり違う人間である(宇宙中の星が現れる・照らし合う』世界に共通しています。
この事実はアーレントが否定する『the oneness of mankind』(ヒトの一者性)に代えられる事によって、単数にされてしまう。
「社会というものは、いつでもその成員がたったひとつの意見と一つの利害しかもたないような、単一の巨大家族の成員であるかのように行動することや視点を要求する。そんな社会は人間の間柄から「距離」と「差異」を奪い、the oneness of mankind(ヒトの一者性)を生み出す。そこでは複数性で可能な、「他者を見聞きする可能性」も「他者によって見聞きされる可能性」も奪われて、代替可能な存在になってしまっている。」
アーレントによると、言葉を奪われた人々は『モノ』化される。この社会は一人ひとり(個)で成り立っているのに。
* インターネットの世界では、知らぬ間に自分の存在を消されてしまうこともある。
ノーベル平和賞を受賞したマララさんのお父様が、「私はマララの翼を切らなかった(折らなかった」とスピーチされましたが、翻って親や教師による苛めや差別が後を絶たない。他者の翼を無断で折る人があまりにも多くないだろうか。(SNS上の妄想世界で他者のプライベートな領域(境界線)を超えてしまうことも。)
無自覚に他者の尊厳を踏んでしまうことも全体主義の成す業です。その危機感を自覚し、『the oneness of mankind』(ヒトの一者性)に抗い続けたいと思う。