横浜のこと
宛もなく横浜を歩いたことが何度かある。それぞれの記憶は曖昧で絡み合って混同している場面もあるかもしれないけれど、思い出したまま書いていく。
22歳くらいの頃に高校の同級生と横浜駅で集合して散歩をしたことがある。コンビニでレモン・サワーとハイボールを買って、有料のレジ袋に入れてもらって行く場所も決めず歩いた。汗をかいていたから夏だと思う。思い出す季節はいつも夏な気がする。色が濃いから記憶として残りやすいのだろうか。横浜臨港幹線道路という輸送車みたいな大きな車がビュンビュン通る広い道路の横断歩道を渡って夜の臨港パークに向かった。中央分離帯の縁に二人で座り込んだことと、タワーマンションの地下駐車場に伸びるエントランスに警備員が一人、無表情で屹立していたことがやけに印象に残っている。
大学一年生の頃にも横浜を歩いた。それも同じく横浜駅で集合して、その日も何をするか決まっていなかった。高校の頃の先輩だった。横浜駅の東口を出て居酒屋街を抜けて、どう歩いたかまるで覚えていないけれどそのまま気がついたら東神奈川駅に辿り着いていた。まっすぐ歩くと20分ほどだが、体感は1時間くらいだった。というのも私は高校生の時その先輩のことが好きで、会う約束を取り付けたまでは良かったけれどなにをすればいいのかわからず、頭が真っ白になっていたのだった。そのままご飯を食べるでもなく、私たちは横浜線に乗って帰った。すっきりとした首元が見えるショート・カットがよく似合う素敵な人だった。そういうどうしようもない、あまりにも情けないエピソードがあと30個くらいはある。その先輩のインスタグラムを見ても平常心でいられるようになったけれど、東神奈川駅を利用する時は今でも思い出してその度に恥ずかしくなる。
最近、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだ。
そこにこんな一節があった。
横浜市は長い年月を経て自然に形成された地形構造と、それを基盤として組織的に設計された都市構造が美しく調和している街だと私は思っている。丘陵地が入り組む間を河川が縦断して水路へと繋がり、保全された街路樹によって冷却された空気がその風の道から市街地へと流れ込んでいる。横浜港が開港され高度経済成長を経て実行された都市部の開発や高速鉄道の新設、ベイ・ブリッジはほかの土地にはない風のうねりを生産している。横浜のような街に住みたいと横浜を出てからずっと考えているけれど、今のところ横浜のような街は見つけられていない。
人はいつか生まれた/育った場所に収斂していく生き物なのだろうか。少なくとも現在は、人生の帰巣本能のコンパスの先は横浜を示している。また近いうちに住もうと思う。それまでは他の街で、横浜のことを想いながら息をして、生活を営もうと思う。