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エルディア安楽死計画と反出生主義。「死」は悪か?
カフェ行ってきましたよ。
ニーチェ関連の本も読んだけど、それは置いておいて。
というのが、なんというか、あまり好きじゃなかったというか、読みづらすぎて。笑
途中で読むのをやめ、もう一つ持ってきていた、哲学用語の本をめくってみました。
私が先日書き出した単語↓
が載っていれば、その単語の意味を理解して。
あとはパラパラめくって興味がある奴を読んで。
っていうのをしていて、改めて「反出生主義」の項目を読んでみた。
っていうか、反出生主義って、こういう辞典系の本にも載ってるんだ。びっくり。反出生主義って名前がついたのが最近っぽかったから、まだ載ってないかと思った。
で、読んでみると、系譜はショーペンハウアーだろうけど、現代で語られるのはほとんどベネターの思想でしょうね。と。
なるほど。
で、ベネターが語っているのは、とにかく生きるには苦しみがあるものだから、生まれてこない方がいい。ので、道徳的義務として、避妊や中絶をすることで、段階的に人類を絶滅に導くべきだ、と。
なるほど。
極端な思想に聞こえるかもしれませんが〜とか書いてあったけど、あれ、待って。すごいなんか聞いたことある???
と考えて、あ、これは進撃の巨人のジークじゃないですか!
エルディア人安楽死計画!!
エルディア人が存在している限り悲劇は避けられないんだから、エルディア人をこれ以上増やすべきではない、っていう。安楽死計画。
安楽死って言っても、一気に全員を安楽死させるんじゃなくて、これ以上子供を産まないようにする、という。
まぁ、ジークの思想っていうか、クサヴァーさんの影響が大きいのかもしれませんが。
なんかすごいスッキリ。
っていうのを考えるともう一つ、エレンも、なんとなく、生まれてきて良かった!感がなさそうではあるよね。どっかにそんな記述あったかな。私全然覚えてないから、なんとなくだけど。
14文字の伝言でさ、エレンのお母さんが「例えあなたが生まれたことをいつか呪う日が来たとしても」って言うじゃん。
なんか、なんとなく、ね、そんな雰囲気。
あ、私は単行本派なので!まだ最終話知らないって言うことだけ言っておきますね!!!
こう考えると、功利主義というか、最大多数の最大幸福的な側面もあるよね、エルディア人が滅びればいい、っていうのは。
まぁ、単純な反出生主義ではないか。
哲学者が進撃読んだら色々考えることありすぎて大変そうだな。笑
もう少し勉強したら、また最初から読み返してみたい。
*
しかし、哲学を少し読んでると「暴力的」っていう言葉がよく出てくる。物理的な力という意味ではなくて、暴論というか、自分勝手という感じだろうか。
命を誕生させるというのは、ある意味で暴力的。
生まれてこない方が良かったというのは、自分が生きてきた中で、自分によって幸せを得た人にとっては、その幸せが否定されることになるので暴力的。
でも、やっぱり、反出生主義を完全否定はしたくない気持ちがある。
生きるのは苦しい。辛い。
っていう感情はその人のもので。
「生」が絶対的に善で正だとも言い切れない。
なぁ、頼んだわけでもないのに誕生させられて。
生きることは義務であり権利であるとか言って、今死ぬことは許されない。いつかは必ず死ぬというのに。
だからさ、「生きなきゃいけない」も暴力的だな、と思った。
確実に死に向かっているはずなのに、完全に否定される死ってなんだろうな。
「誰かが悲しむから自死はよくない」も暴力的だな。
私の生だ。
いや、私は別に死にたいわけではないし、生まれてこない方が良かったとは1ミリも思ってない。ので、「理解できる」とも軽々しくは言えないけど、死が肯定される世界があってもいいんじゃないかとは思う。
まぁ、そもそもいわゆる「反出生主義」は、「生まれてこない方がいい」というだけであって、「生まれてきて、辛い生があるなら死ねばいい」とは言ってないんだけれども。
いやなんでだ。
生まれてこない方がいい、と言いつつ、自殺を肯定する訳ではない、っていうのはつまり、論理ゲームなんだろうか。
ここまで書いて、安楽死計画ってとても優しいのでは??と思ってしまった。
対比するエレンが「自分ら以外駆逐してやる」っていうものだから。
ジークの安楽死計画は、別に今生きてる人を殺す訳じゃない。ただ、子供を産まなくなるだけ。
それって、決めなくても起こりうることじゃん。全員が産みたい訳じゃないんだからさ。
今生きてる人は天寿を全うしろ、っていうの、あの世界においては超優しいな。
話が飛んだけど。
自分は自分のために生きるのであれば、自分のために死ぬことが許されてもいいんじゃないかと思う。
「死」とは何か にも書いてたけどさ。
誰にとってよくないことなのか?って考えると、ほとんどが周りの人にとってだよね、だって死んだ自分はもはや何も感知できないから。
それでもなお「生きよ!」っていうのは、なんだろう。
長い間、哲学者ですら「子供」=「希望」「必要」「いいもの」と、当然してきたものが、今問われているように。
「生」=「良いもの」
っていう前提も、問われてもいいんじゃないかな。
*
誰かの死、ってさ。寿命以外の死って。
物語みたいよね。途中で終わっちゃう。だから、人が惹きつけられる。
こんなことをいうと不謹慎かもしれないけど。
XのHIDEがまだ生きてたら。
あんなに伝説になったのかなって。
まぁ、生きてたら伝説にはならないよね。死んでから伝説になるものだ。大物ではいただろうけど。
HIDEは自死じゃないけどさ。
アーティストが、自分の死を以って生を完成させることがあるだろうし、あっていいと私は思うな。
ミロのヴィーナスみたいな。
ちょっと違うか。
欠けているからこそ美しいもの、みたいな。
死ってさ、失われるだけじゃないと私は思うよ。うん。
*
物語の終わりと言えば(話が長い)
最近、「殺戮の天使」っていうゲームの実況動画を見て。
そんな新しい訳ではないけど、あまり言うとネタバレになっちゃうので言わないけど(代わりにキヨの実況動画置きます)
少女が殺人鬼に「私を殺して」って言うんよね。
で、その殺人鬼は、生き生きしてる奴の顔がムカつく、とかで殺してるので、死んだような目をしてる少女に言われても殺したいと思わないと。
だから、俺に殺したいと思えるくらい笑え、みたいな。
いや、これは本当、アニメ化もしてるらしいので見て欲しいんですけどね。
一般的な社会の倫理観によると、二人とも許されない存在なんですよね。
後半、その殺人鬼超かっけー!ってなるけど、殺人鬼は殺人鬼だし。これまでたくさん人を殺してるし。
彼女も…色々あったし。
何が言いたいかと言うと、まぁ、殺された一般人Aからすると、ふざけんなよ、って話ではあるんですが、単純な善悪じゃないよな、って言う。
最近のブーム。
最終的に絆が生まれる二人に私は生きてて欲しいと思うけど、殺人鬼の存在も、彼女の「私を殺して欲しい」っていう願いも、肯定されていいんじゃないかな。
美しいならばそれでいいじゃない!
よね、結局。(結局それが言いたい)
倫理学とか勉強した方がいいのかな、私は。わかんないけど。
少女が聖書を読んで「人を殺してはいけないことがわかった。でもなんでダメかはわからなかった」っていう言葉がなんとなく残った。
あと、大学の法学の先生が「法律に、"人を殺してはいけない"とは書いてない。"人を殺したら、○○という罰を受けなければいけない"と書いてあるだけだ。その代償を払ってもいいのであれば、行動したらいい(意訳)」ということを言ってたのも覚えてるな。
(とはいえ、法律の上位に位置する憲法には多分それっぽいことが書いてあるから結局だめって言ってるんじゃないかなと思ったり)
だから、何事も、行動とその代償なんだろうな。この社会で生きていくにはね。
話が長くなってしまった。
また今度まとめよ。
カフェ良かった!
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