毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(6)
母が肝機能障害と診断されたのは、30年前に遡る。母の口癖は「私はカラダが丈夫なのがとりえ」だった。
今でこそ女性は更年期には太りやすく、内蔵にも脂肪がつくと解明されているが、当時は肝機能障害といえばB型かC型肝炎の疑いだった。
まさか更年期脂肪が30年後肝細胞癌のタネになっていたなんて。
NASHという。体型だけではない。酒を一滴も飲めない母は、痛くも痒くもないのに薬飲むの?と高笑い。
カラダがだるく、更年期でカラダは火照るのに熱はない。食事が摂れなくなり、家族に当たり散らした。とりわけ私だけには意地悪だ。専門学校から帰ると母にそうめんを茹でる。そうめんなら食べられるというから、茹でていると「あー暑い😵なんで換気扇回さないの❗️」と怒鳴られる。
まわしとるわ!
火を止めテーブルに用意をしたら、バイト。
週3で2時間だけバイトして、月2万円。
そこから母に「家にはお金を入れるもんだ」と言われて、1万円渡す。19歳なんだけど。アニキは働いていて、22歳。で、お金入れる入れるサギ。怒ると手がつけられないからと、私だけ少ないバイト代半分持って行かれる。財布ごと勝手に持っていって、カード無くしたことあったなー!
母は、振袖も無理矢理私名義でローンを組んだ。スーツでいいと言ったら、親不孝と罵られた。
そんなわけで、成人式を祝ってもらうどころか、もう二十歳なんだからもう少し食費増やしなさいと言われる始末。
父は溶接を生業とし、サラリーマンでも割と給料が良かったようだ(年金の金額からすると)。
毎月母が使い切るだけではなく、足りなくてよく「給料日まで○万円貸して」とねだられた。
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