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27歳 娘

#子どもの成長記録 からだが弱くて、1週間に3回熱を出し 起立性調節障害だと説明しても、学校では理解を得られずに苦しんだ 頑張って、頑張って、専門学校にも二つ行って撃沈 4月からは転職 いつのまにか強く、凛とした美しい女性になって まぶし(๑>◡<๑)

    • 毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(10)

      2020年3月コロナで面会が制限される1週間ほど前、最後に面会したときの母は、不思議なほど穏やかだった。元気だったころの母とも違う様子だった。 その日はとにかくご機嫌だった。 なにかすべてを悟ったような様子で、ニコニコしている。車いすに手をかけて、 「来てくれて嬉しい!家は遠いんでしょ?」 と私に言う。 「すぐ近くだよ。車で10分くらい。」 というと、 「車に乗れるの?あーそう。」 どこまで分かっているのかとも思ったが、母が大切にしている御書を持ってきたことを

      • 毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(9)

        肝性脳症で入院した母に容赦ない医療関係者らの屈辱的な言葉が飛び交う。 「どうせすぐ死ぬ」「何言ってもわかんないから」「頭おかしくなった」「手がかかって大変なんだから迷惑だ」 私の心は穴だらけだった。おまけに、ある程度回復したときは置いておけませんから、転院先早く決めてくださいって。 肝性脳症の患者を入院させてくれる病院は、見つからなかった。 唯一、千葉県我孫子市にあるかつて倒産した古ぼけた病院で「なにも治療しない」条件で3カ月は置いてやると言われて転院が決まった。

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        • 毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(8)

          医大に入院し、カテーテル治療の日が決まった。 その日、母の病室で予定の6時間を過ぎても戻らない母に不安がつきまとう。兄からは何度も母の携帯にショートメールが届いたが、だったら仕事休んで付き添えばよかったのにって、口から出てきそうな言葉を何度も飲み込んだ。娘と二人で病室のイスに座ってひたすら祈っていた。 母が戻ってきたのは始まって7時間30分後のことだった。Vサインをしながらストレッチャーに乗せられてベッドに移動。そのまま眠りについた。「今夜は目が覚めないと思いますのでご自

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        • 大切なもの
          2本

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(7)

          母が地元では「医大」の呼び名で賑わう病院に主治医から紹介状をもらったのは、2015年の夏だった。 「お前たちに私は充分面倒をみてやった。じいじが死んで、この先生活費を入れてくれないなら、出て行ってほしい。」と言われて、私と娘は非正規の収入だけで部屋を借りなければならなくなった。 母は兄と同居すれば毎月少し金銭がもらえると勘違いしていたようだ。取り返しはつかない。失敗すれば娘ともどものたれ死にだ。 それでも、これで母から解放されるんだという事実は有益だった。 出て行くに

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(7)

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(6)

          母が肝機能障害と診断されたのは、30年前に遡る。母の口癖は「私はカラダが丈夫なのがとりえ」だった。 今でこそ女性は更年期には太りやすく、内蔵にも脂肪がつくと解明されているが、当時は肝機能障害といえばB型かC型肝炎の疑いだった。 まさか更年期脂肪が30年後肝細胞癌のタネになっていたなんて。 NASHという。体型だけではない。酒を一滴も飲めない母は、痛くも痒くもないのに薬飲むの?と高笑い。 カラダがだるく、更年期でカラダは火照るのに熱はない。食事が摂れなくなり、家族に当た

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(6)

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(5)

          父に対する不平不満は、際限もなかった。 父と母はいとこ同士で、結婚を決めた理由は「そんなに悪いヤツではなかった」からだそうだ。 でも、結婚したらどうにも理想と現実は違ったわけだ。だからって、子供に愚痴って。 私は絶対に好きなひとと結婚するつもりだった。 ところが、信心が婿を決めるものさしだった両親は彼氏を連れてくるたび、ケチをつけて追い返した。 結婚するつもりが唯一全くなかった男だけ、信心しますと言った。 えーちょい待って。私コイツと結婚させられるの? 腹黒では

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(5)

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(4)

          息子は逆子で、どうにも直らなかった。もしもへその緒が首に巻きついたらと思うと、気が気じゃなかった。陣痛がきてなかなか進まず、だんだんお腹の子の心音は弱ってきた。胎児の首にはグルグルとへその緒が巻きついているという。急遽帝王切開となり、夫の職場に連絡。もともと私の職場でもあり、迅速な対応ですぐにこちらに向かうという。 帝王切開だから、あとは夫のサイン待ちだった。「オレがサインするの?なんでそれくらいのことで病院に呼びつけたんだ」ですと。あんた、この子のなんなんだ?

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(4)

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          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(3)

          養ってやってると言った父、産んで育ててやったんだから恩返ししなさいと言った母。言う通りにしないと暴力と暴言の嵐の兄。 とにかく家は息つける場所では決してなかったので、一人暮らしが夢だった。結婚した後、ようやく実家から解放されてスッキリと思ったのも束の間。元夫は1時間おきに電話をかけてきた。今のようにスマホがなくて、家の電話を3回鳴らすと「何してた」と言われた。トイレに電話の子機を持って入った。 子供ができたら変わると期待したが、悪い方に変わっていった。夜泣きにブチ切れ足で

          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(3)

          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(2)

          子供の頃から褒めてもらった記憶がない。習い事も母の言う通りにそろばんと書道を習った。やりたくてやっていたわけでもないので、そろばんは一級の手前まで、書道は面白かったが母の都合で全く違う流派の塾に入れられて萎えた。母のなかでは、上達することを期待しているわけではなく、言った通り指示した塾に行ったかどうかが重要だったようだ。 一度だけ、ピアノを習いたいと頼み込み、知り合いの個人塾に通ったことがあった。先生は母に「この子は絶対音感があるから、続ければ音大行ってピアニストになれるよ

          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(2)

          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(1)

          #自分にとって大切なこと 信仰は人生にとって生きる糧になったり、折れた心を支えてくれるもの。ただ、我が家の事情は少し特殊。子供の頃から友達とは宗教行事があると遊ばせてもらえなかった。それが当たり前で、親の言うことは絶対。好きな人ができても、入信しない人は結婚相手にはならなかった。この家から逃げるために親からかろうじて許してもらった人と結婚。子供が産まれた後、夫はウチの実家の過干渉に耐えきれず離婚。あれほど嫌いな実家に子供2人を連れて戻った。母は私を「ハズレた」と言った。子供

          毒親だった肝臓がんの母から「いい娘を持って幸せだ」と言われるまで(1)